盗作の方が、デカい顔をする、と言う話は。
そう言えば、ライト兄弟のそれとしても…実際にはあった。
実は、古くて新しい問題ではある。結局、一つの文化を創ってしまう様なアイディアを、個人が独占する、と言うそれへの否定感、だとは思うのだが。ただ、もちろんだ、その飛行機のアイディア、それはその、ライト兄弟の”それ”でしかない、独裁創作。それはそう言う物へと進化していく場合があり、その富を作者が独占して良いのか?それは、向こうに大きな反発を産む。
だからこそ、今の「独裁創作はお金に成らない」その結果はある、とは思う。
そうだろうか?
あくまでも、その「大きな反発」の結果として違法が容認されてるだけでは。
その、恐らくそれまでにもあった、「自分の作品は売れた筈なのに誰かが妨害して自分に利益が届かない!」と言う、真偽の混沌なそれを、常に活性化させ続ける事には成る、訳だが。
ともかく、自分にしろ、何故か、この壁は今も、超える事が出来てないのだ。「平等」対等、それは、宇宙さえ支配する絶対の真理ではある。それを超えようとしたら、相応のストレスは必須ではある、なら、その利益性は無視した方が良い。
「自身の現状」を前にしても、それを言うと言う是非は重い。
”雅”市場それは、今はもう、世界を覆っている。その前に覆っていた「資本論」それを取り込み、改善する方向で存在するそれに対して、自身の信仰する神、その采配としてか。作者に市場管理者への5%の介入権が発生はしている、今、世界の嗜好、その5%は”ここ”が握っているのだ。その結果、最近少し、個人的な趣味、それの”許容は”発生してきた、気はしている。
しかし換金性に関しては今も、ちょっと不透明さのある現状、それは有る訳で。
作業時間10分、ネットに落ちてる無料素材を組み合わせた”だけ”で、或いはそこに数万円が発生した…それは、対価として適当?
「仕事の結果です」なら、まだ納得は出来る状況はある、逆にそれが換金されない事に問題を感じている状況でさえある、しかし。感情論それは、やっぱり最後まで重い壁だ、自分が300円で描いたセル画が数万円で取引されていると言うそれへの、微妙な憤り。そう言うのを無視して進まないと、その先は無いのだけど、ただその結果として、そこに悲痛が有る時、それは選択すべきか。
理性的な判断は、つまり、損害を前に苦痛を耐えてしまう、そう言う判断をし易い。
それでは確かに何も変わらないのだ、解ってはいても。
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