ともかく「良い結果に成った」と言うのが創作的には大事な話ではあり。
だがそうであるなら、例えば「イデオン」が宇宙壊滅オチに成らない話はウケるか?ではある。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。
「こんなかわいい子のあんなこんな」と言う、その意味とか是非
現段階でも、”それ”を検証し続けている、というのが状況かもしれない。今なら「鉄血のオルフェンズ」そのリメイクは利益的に通るか?ではある。戦争モノと言う面倒さで、勝者と敗者が出る、片方は負ける。その時、それが主人公側だった、に過ぎない。道理と言う点で、あの話はほぼ問題を持たない近年(・・・)では稀有なそれではある。家族を大事にしつつしかし、それ以上の要求が無い人々の、それは末路に成ってしまった。
…しかし確かに、現実でも「個人商店の連合が大手のチェーン店に勝つ」それが無い、訳じゃないだろう。もちろん劇中でも、一時は最大勢力を退けては居るのだ。しかし話が大きくなるに従い、多少の境目、その分岐で家族を優先した結果で逆に、家族を危険にさらす選択に成ってしまって。個人商店の連合ではそれ以上の理念は持てない…それはそれで、現実かもしれない。
現実的な絵的には、一時は流行った個人商店の連合が、しかしそのリーダーの暴走か選択ミスによって統制を失い結局は大手のチェーン店に主流を取られる、そう言う感じではある。もちろんかリーダーがミスを補正するなりしてそのまま大手と張り合い続ける、という可能性も無い事も無い訳だが、当時の情勢では。
・・・どうだったろう。
ともかく一度出てしまった結果、そこに理想と現実への失望があっても、それはそれで一つの絵ではある。
ともかく?結局リアリティ、それしか作品への追及は出来ないというのは一つの具体例ではあろうか。作品としてはリアリティに不足が無いならそれに対してダメ出しするのは否定感が強く商売的にも問題は大きそう。リアルである、というそれは、そのまま現実へのフィードバック効果を持ちうるそれは間違いなく。良くも悪くも「一つの具体例」として、それは視聴者のその後の選択に、大きな影響を与えるそれは間違いなく。
その時、「それ」は良い結果だった、なら。それは失敗には成らない。とは思う。
その、或いは象徴的なのが「閃光のハサウェイ」ではあり。原作では、やがて主人公は追い詰められ捕縛され、結局は政治的に利用されつつ、銃殺刑で死ぬのである。通してのテーマは「テロは悪い」勝てない、そう言う話ではあって。どれだけ高尚な理想を掲げようとテロという選択を選んだ末路は奈落でしかない、それは「正しい」そして十二分なリアリティは視聴者にも「良い結果」を齎すだろう、あれは失敗作ではなく。
…その時、イデオンは?それはガンダムではないが、ガンダム的な判定でも、問題無いのだろうか。
イデオンとは何だったか?ではある。
そこに希望を見た人々には、憤慨する結果だったろうか。