次期首相が、岸田氏に決まった。
是か非かは、相変わらず解らない。ともかく「首相が決まった」と言う事は、政府としての意思決定が発生する、と言う事で。”それ”に対して強い影響がある、その声が国政に大きく影響する、と言う事には成る訳だが。
把握が正しいかは混沌としている。「首相が辞めた」この数週間は、意味的にはリーダーが居なかったのだ、ある種の自己責任が要求された期間。この間、新型コロナウイルスの感染状況は劇的に改善した…自身の把握では、切り捨てる感覚が弱まったから、だが。
岸田氏は、どっちを向いているか?だ。
国民一億人を救う上で、千人程度の犠牲はやむを得ない、を、言うか否かだ。
ワクチンの推奨とは、不意に今、そう言うニュアンスを纏いつつある。
尾身会長の、奇妙とも言える”やる気”がどうも、剣呑な不安感を募らせたりする。
医者は、患者の命が掛かった選択を、強要してはいけない。
ともかく”死ぬ可能性がある”のだ、ワクチンの接種は任意だ、強制してはいけない。
これは果たして何処まで守られるか?ちょっと、不安には成っていく状況。
「罹らない人は罹らない」と言うそれを、今の医師会他は考慮してない感じは、重くある。またデータとしても、ワクチン接種が始まって、コロナとは言えない死亡数が”かなり”増加傾向にある、と言う。ワクチンの与える社会的なストレス、だろうか?ともかく「去年より死者が増えている」それは、何とも懸念される事態だ。データも良く見ると、ワクチンの接種を始めた頃の、新型コロナウイルスでの死者は、決して減っていない。減り始めたのは、言い方だが「菅総理が辞めると言った後」である。そしてその間も、ワクチン接種は続いており、そして全体の死者は何故か増加傾向にある。
新型コロナウイルスは、強奪連鎖の現場的な加害者側に多く発症し重症化する傾向がある。
これもかなりのオカルトだが、今の死亡超過と言う話も、どうもワクチンとのオカルティックな因果を想像させて、不安だ。
ワクチンは、新型コロナウイルスで死ぬ人を護りつつ、”別の人”を殺してるのでは。
自由市場を今のまま続けようとしたら、それは一つの道理としてはある。
生贄は必要なのだ。
だから、それを維持したままで。
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