あげちうのブロマガ

必要と不要の狭間で問う未来

意識的には、落ち着きつつある部分もある。

しかし逆に、古い失意はどれだけ埋まっているのか?は、ちょっと考えるところ。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。
しかしなんとなくシャドウバンが入った様な違うような・・・

 

少し、考えはした。

ジャニー喜多川氏が居ない今、「ジャニーズタレント」それは、どう選抜、或いは養成すれば良いのか?に関して、ともかく”誰か”が必要、という体制では混沌が残る、純粋に法、システムに基づく選抜にしないとそこに魔物は残ってしまう。という事で?少し考えた奴。

「ジャニーズ事務所の“推し”になる為には、まず十二分な技術に基づく実績が必要で、”その上”で、6か月間の「仕事をしない期間」を超えた奴を、”推し”として前に出す」

要するに、ジャニーズ事務所での「所属タレントのプロフィール」に載ってるとか「ファンクラブが有る」とか?そう言う「正規の看板タレント」になる為には、”それ”に比べたら雑用と言って良い仕事を十二分にこなし、スキルだけなら看板タレントと大差ない状態と認められる状態になった上で。その技術や人気を6か月、「完全に封印した状態」を耐える必要がある、という感じ。ここで”問題”を起こしたら、再び再挑戦、に成ってしまう、訳だが。

意味としては、「自分は必要か?」をまあ、視聴者に、お客に問う、訳だ。半年世間から消えていてもやっぱり必要なら、それは容易にか耐えられるだろう。耐えられないなら?要らない、という事だ。また、その間に自身の技術や人気の「意味」も考える必要は出てくる。精神面での不動さ、それが有るか否か?そう言う。

・・・ぶっちゃけ、幾らでも不正というか、この程度で苦痛を感じるか?ではある訳だがしかし。ある種の体験論ではある、社会的に「いらない」物は、そんなには続かないし、残らない。必要なのは店頭から消えて、半年後に再販されても売れる何か、ではある。そう言うのを自身の中に育てていない奴は、正規のタレントとしては要らない。

一応、「広告代理店の放送枠選定方法」みたいな話、再びではある。自分も、自分の立場を正確に把握してる訳じゃない、が。ともかく提案はする、どうなるか?はその先の、現場の話ではある。

・・・これで、ジャニー喜多川氏の影を追う必要が無くなるなら、この領域も民主化出来る、訳だ。特に株を内輪で独占し、外圧に対抗する必要が無くなる。ここの混沌が薄れる時、社会全体もまた、利益性に舵を切れるようになる、可能性は高いが。

果たして今の問題は、それだけだろうか。ゲームという文化の発展は、「徒労」そこに意味を求め、そしてその具現を期待する。その時それは、不意に「昔の失意」それを救済しようとしてしまう、様な。

過去に失ってきたモノを、人々は掘り起こそうとしている、様な。それはその時、理不尽にか問題がある、とされたモノだ。その時それは、何かの憤りと共に、”その”願いを具現化しようとする・・・それは、何を倒そうとしているのか、或いは。

その時、それは果たして良い事か悪い事か。

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