「問題は何一つない」のだが、それはしかし”神”の視点では、だ。
現実には問題しかなくそして、「責任はそこに居る人間にある」神はただ、寝ている。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力
「大丈夫、誰も来ませんよ…、何をしてても、ね」とか、最近ちょっとエロい。
ちょっと個人的に、理想と現実の境目に居る、気がする。理念は問題ない、繰り返し「大衆は神である」その思想的な帰結は反論を封じはする、が。それはメディアの怖さ、というべきではあろうか。報道から感じられる「世界」はしかし、きな臭さを加速させている、それは深刻な疑念と共には、ある。
極論?すると「既にゼレンスキー大統領は”元”であり、”報道は”それを認めないだけ」な事態だったりしないか?と、そんな妄想か何かと現実の目の前にある事象と、少し喧嘩している、そんな感じではある。カウンタ制御、それによるモノか否か、相変わらず自分の立場からは解らない。
少なくとも今の状況では単なるごく少数派のきみょうな妄想、に過ぎないのだが。
ともかくそう言う「情報を制御し得る特権」権力が存在し、それはまだ十二分な?パワーを有しているがしかし、”現実”には事態は彼らの理想とはかなりズレている…希望的にはそう言う事態、かもしれない。
実際には世界の「完全性」それは、平等とそれを土台にしたギブ&テイクによって成り立っている、が。誰か何処かがその中での「特権」を志したかの末に、世界は幾ばくかの歪みを抱えてしまった。安定には”それ”を補正し続けねば成らない、が。”彼ら”はその「歪みの堅持」に数十年単位で成功している…いやもっとだろうか、ともかく「神」の領域を支配する事に成功していたがここで少し、歯車が狂ってきた。
しかしそれは、自分の想定する絵とはどうも違う、その「何処が違う?」は、今も良く見えてない。
意図的に、外部情報を視ない様にしている、というのも…まあ混乱の原理ではある訳だが。今の理解では自分の状況がそうであるように、報道は管制が掛かっている。「都合が悪い話」それをする存在、はやんわりとカウンタ制御、”それ”により社会的な封殺がされている。「反社会的な」思想を堅持する限りはそれは、”表”には出さない、その上で通常の「報道」その内容はある、訳で。”彼ら”の「意図」はしかし、良く解らないというのがまあ、現状ではある。
特に「不満偏向」ストライキのそれ、を用いての制御だ、それは何となく解ってる、気もするのだが。
”それ”を許してる「大衆」という神の意向、それも、ちょっと個人的な疑念かの対象ではある。
とにかく社会的かの「不満」ストレスの偏向、それは、古くから行われてきた話ではある訳だが。そう言う邪の方が前にあり深刻な壁である理由、そう言うのは今も、ちょっと解らない。かといって?高いカウンタ数値と共に報道の視線その集中を受けたいか?というと…まあそう言われると深刻さはある訳だが。
”何か”は崩落を続けている、理由は全くわからない、想定外の事態と多すぎる損失の中から、自分はただ場当たり的に逃げ惑っているだけ…それは、或いは世間全ての実際には、共有感だったりするのだろうか。世界は完璧である、平等とギブ&テイクで成り立っている。その中で”それ”を歪めて特権を得ようとする時、そこには崩落の亀裂が発生している。世界が狂って行くのは、そんな或いは、悪魔に唆された、人間の劣等な所業故でしかない。
とか言いつつクライシス皇帝を倒しても、崩壊していく船はただ、沈んでいくだけではあるのだが。
”普通”の「大人」の世界は不意にか、オフレコの塊ではあるのだった。