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あげちうのブロマガ

盾に張り付けられた猫の認識

理屈の上では、一人100万円なら100人集めれば一億円になる、筈ではある。

しかし実際には、一人二人で数百万円を超えた所で、それには社会的否定が始まる。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。

猫は人を飼うと言うが本当だろうか

 

「メスガキ」と言うイメージが何故?と言うのに、最近ちょっと意識が向いたし、現状の市場的な傾向、そう言うのにも合致する様な感じにはなった。個人的な理解が何処まで?はともかく、やっぱり「この可愛らしいイラストは女性が描いている」と言う情報にはそれだけで何かの特別?特殊、そういうのを感じは、する。その後、そのイメージで描かれる漫画?の内容がどうであろうと「とは言う物の絵は可愛いから」で、かなり寛容に成っちゃう自分、それはもちろん居る訳だ、が。”この”感じが、しかし「独裁創作」その、ほぼ存在しない利益性、”それ”に繋がっている、のでは。

それは。

解ってる解ってる、皆まで言うな。

自分も含め、「世間はその時、何を買っているのか?」は、創作者的な視点ではちょっと憤慨する何か、ではある訳だが。同じイラストを男性が描いている、という時、それは商品価値を持つのだろうか?だ。AIイメージへの失望それも、”そこ”に「求めるモノがない」そう言う要素はまあ、ちょっとある。これは、実際には「それを公表していなくても」効いてしまう、時。企画として意味を持つスタッフは、女性ばかりに成ってしまう…そう言う事には?

その時、現場はその、ちょっと特殊なだけの若い女性の意向に従わねば成らない、訳だ。

それは、そこには生意気な少女とそれへの、というイメージは、どうしても発生する・・・のかも。

事態を長期化させた理由の一つ、かもしれない。「独裁創作が利益を持てる」場所には、多くの「なんで居るのか解らない女性ら」が、結構まあ、艦娘の如く居た、のでは。ゲームシステムを極端に?簡単にし、後は女性らの要望みたいな物で構成する、様な。一つ一つ、昭和の頃の方法論が数多潰れていく中で、実は唯一か残って居た手段、それが「メスガキを飼う」それだったのではそして。その結果が今の、萌えキャラ依存のガチャゲーに成っていく…実際は?

理屈が正しいなら、ロードランナー的なシンプルなゲームにして、10面1パッケージ、みたいな感じで個別の女性に依頼する、様な事が出来れば…自社企画でも製作費くらいは回収できちゃう、様な感じは実はあるのだろうか?「面白い?」しかし、女性像を求めるのならゲーム性は割とどうでもいい、みたいなのは今の風潮だったりはする。良くも悪くもそう言うのが生き残る結果、現在のゲーム情景が発生していた…可能性?

是非は微妙だ。その絵は要するにマクロで「女性を大事にするべき」そう言う絵ではある、他の「俺の歌を聞け!」よりは、よっぽどマシかもしれない。スイカゲーム程度?のそれであろうと、独裁創作が利益性を持つ可能性はまだある。”これ”でうまく行く所とそうでない所は、女性への扱い方がちょっと違う訳だ。売れる方が上手く扱っている、にしても。

・・・ただ、その結果が芦原女史の自殺に繋がってしまったとしたら、これにも限度はあるのかもしれない。小さな作品の寄せ集め、が限度で、そして誰かを特に重要視する、のも好ましくない。衝突する意見は騒乱を呼んであるいは内部的対立にまで発展していく、等々。

しかし今後、別の方法論が確立していく先で、彼女らは或いは再び用無しに成っていく、のだろうか?

もう或いは、若くないのに。

悪意だったか、昭和の文化の責任か。

ともかくそこにも、或いは新しい台頭による失職の危機、それはあるのかも。

何故か、仕事が無い。

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