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あげちうのブロマガ

仏様でもご存じなくても無いモノは無い

イデオロギー、その人の理想?主義、信仰その否定は、自由意思の侵害にもなる。

宗教での戦争が何故起こるか?相手の正しいは、自身の自由その侵害になるからだ。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力

「おみくじ大吉だって。美味しいモノでも食べちゃう?」おかしい、有る筈なのに

 

という訳で、大衆は神なので信仰してください。

おう戦争だな。

割と自覚もあるんで、これ以上は踏み込めない、という部分はある…思想的には単純な解決がそこにある、としても、だ。釈迦にしても最後は腐った物を恵まれて腹を壊して野垂れ死に、という有様らしい。そう言うのも、信仰の奈落、それとして残ってしまった、そう言うのもあるのかも。

私はここまで世界に尽くした筈だ、その結末がこれなのか?

それは、その領域の奈落として魔物、その源泉と化してしまう、そう言うのは或いは。

そう言う意味でも、物理、起こった事実、そう言うのを理解の起点にしていた方が良い…それは有るのだが。現実はそれを前にしかし、「実は違う」勘違いみたいな真理、それを語り出すのも困りものというか、人間の個性の面倒さ、ではあるのだった。先の話、成功に次ぐ成功、しかしその先で最愛の妻が死ぬ、という様な事態は何故?ではある。今の理解としては「独裁性の強さ、過剰さが不幸を呼ぶから」と言う事には成る、故に何かの特権か力は十二分な抑制の元に無ければ成らない、訳だが。「神なんかいないんだ」世の中は悪意こそが勝利者である、というのもそこに有る真理に成ってしまう…そう言うのはまあ、ある。

憑りつかれていた、みたいな話はあるのだろうか。

ともかく不意にか、「誰も犠牲にしない」と言う面倒さに、ちょっと思い至る感じ。

物理としての認定はあるかどうか?は、今後の問題として大きくまた、その検証とは?ではある。「大衆は神である」それの為になる事が善で、成らない事は悪だ。善は悪に勝つ、筈である。負けるとしたら?何処か間違いが有る筈である。”神”は常に勝者側にこそ居る。神は絶対である、故に。それが認める勝者である時、そこに神の意思はある。世の不幸それは、人々が主観によって”それ”に反する、そこにこそあるのだ。

「それは物理だ」その石がそこに有る事を信じない、というそれは?単なる間違いでしかない。

大概の宗教は最終的にはこういう話になる、訳だがしかし、”神”の正体は最後まで語られる事は無い、そこは少し違う。この思想の結果、目指すは問題なく売れる作品、には成る。思索の末に有るのは「創作が売れる時、経済も発展する」と言う真理ではあり。世界を救おう!というなら「売れる作品を創ろう!」それは、そのまま直結していく、しかし。そこでその作品の価値を評価するのは”神”である、売れた、という事がその物理的な証になるのだ、が。

定価1000円、現場の取り分が7割、という商品のダウンロード販売で、一万本売れた!数値を創る為に必要な金額は、最終的には300万円(ー1000万+7割=-300万円)ではある。本来ならこの状態から+4000本強売れないといけないが(4000×1000×0.7)、その程度の金額は「広告料として」計上したら、経理上は損失に成らない、のだった。一万本売れて700万円の利益出たけど、300万円広告料で使ったので実際は400万円。

国の予算は使い切らねば成らないのだ。利益を上げる必要は無い。

何を言ってるのか解らない領域があった、そう言うのは深刻では、あるのかも。

国が創作領域に関わる時、実は”こういう話”が横行する可能性がある。「売れた」実績が出たから、投入された1000万円は無意味ではない、か?だ。「全く売れてない」のに?国の方で漫画アニメに力を入れます!というそれは、何を目指しているのか。全く売れない物を「売れた」事にしても、売れなかった物は売れなかった物でしかないのだが。

ここに欠落しているモノは、なんだろう。

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