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あげちうのブロマガ

盗んだ神の火を返せと言う神

勧善懲悪もの、というテンプレを描く場合、しかし「自分を悪役にする」事は大事、ではある。

「これは漫画です」と言うフラグとしての、そして作者の「私に非は無い」その宣誓でもあるからだ、が。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力

その日、人類は思い出した。この平和が偽りの楽園だった事を、的な

 

・・・ただ、結果論で「馬鹿なの?」と言う事態しか起きない、という事も時々、ある。「優れた能力を持った奴が暴走したらどうなるのか?」今の状況で言うとそのシミュレーションと対策、な訳だが。結果的に小悪党しか出てこない、というのはちょっと作品的には拍子抜け、そう言う感じはある。昔、「今のロボットモノは複雑すぎる、昔の様な単純な!」と言う方向性で「ゲッターロボ號」と言う作品が有ったがしかし、結果論では微妙で終わってしまった、感は重い。

言ってる事は正しくない気もするが。昔は、危機はリアルだったのだ。今は、想定でしかない部分は、ある。

昔に庵野秀明氏も言っていたが、「自分には”敵”が意識出来ない」と言う発言はある。「なんで敵は攻めてくるの?」に、答えが出せない時代だった、訳だがその前には実際に侵略もしたし滅び掛けもした、のだ。その際の衝動?懸念、そう言うのはリアルだったが、その後には、既に解らなくなってしまっている、のかも。良い意味でも悪い意味でも教育が徹底され過ぎた、か。

「怪獣はなんで現れるの?」

それにさえ、答えが出なくなっていく現実はある。

喪失した”そう言う部分”を、「黄昏の狩人」だろうか…”それ”は結果的には補う事には成った、かもしれない。”作者”その「自分が暴走したらどうなるのか?」は、常にある懸念にはなる。ただ、問題としては「黄昏の狩人」は自分の個人創作に近いモノで、それを足場にしていい、その同意も得ていない。「正義」が歪んだ世代は、万引き程度の過失を「悪」と認識出来なくなっていた…それはまあ、言える感じ。その時、不意に或いは危機感は現実的に成っていった、のか。「敵」が表に出たら、真相が暴かれたら。自分らの生活は破綻する、のだ。それは、絶対に避けねば成らない…。

「漫画だから」その前提はその時、その前提を失ってしまった、のかも。

「なんだよ盗作かよサイテーだな」不意に、一気に熱が冷める、波が引くように消えていく支持、そう言うのはまあ、深刻な恐怖ではあり。「悪」が、酷く個人的なものに成ってしまった、そう言うのは有るのかも。自分の生活を脅かす物、だ。自分に過失が有ろうと。それは今のウクライナの様な様、だろうか。「紛争解決機構」倫理観だ、”それ”に逆らうべきでは無かった、しかし。喪失の恐怖は、それに勝ってしまった。

60代前後にとって、漫画は漫画ではない、そう言う深刻は残って居るのかも。

その時、描くべき物とは何か?ではある。

自分を悪役には出来ない、外に敵を探さねば成らない。

その時、作品は「ダークソウル3」自身の前に立ちはだかる全てが敵だ、そう成っていったのだろうか。

検討すべきは、それはリアルか否か?ではあり。その後に、リアルなら打開を検討する事にはなる、が。

「自分が悪役に描かれてると思っても、何かの浄化だと思って我慢してくれ」

…面倒はこれから、だろうか?

とある劣悪な環境に居た人間の一人が、神の世界に忍び込んで神の火を盗んだ。”それ”によってその世界は発展したがやがて、神の死者が現れ盗んだ火を返せ、そう要求する。”それ”を失ったら人間達の生活はかつての地獄に逆戻りだ。その時、人間達の選択は、そしてその時、正義は何処か。

泥棒は泥棒、ではあるにしろ。

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