状況的にはもっと、自分も焦って良い気はする。
もちろん?主張にリアリティがあるのなら、だが。
問題になるのは、「紛争解決機構」自分は「大賀さん」と呼ぶ、そう言う物のクオリティと正当性、ではある。「現実を模した環境」その上に有る戦場の、その結果を神(0±0)が、人にとっての良、寿を目指し、それへの道を選択する。最後の神判、それはその場でしか出来ない、と言う結論の果てに、しかし、ガンプラバトル、それも有る訳で。
「バカバカしい」と、そう評する先に有る物は一体何か、それはまだ解らない。とは言え、”これ”を否定する先に有るのは結局は、メディアが批判しているプーチン大統領の”独裁”それその物では、ある。民主主義が実際には、だんだん独裁性を強めてしまう様なモノで、現状では思想誘導性と言うか、支配、それを否定するモノは、民主主義には弱い。
多数決の多数派が正義なので、少数派は切り捨てても良いのだ。
結局、結論はそこに至ってしまう。
アメリカの大統領選でも、票の不正は数多問いただされたにしろ、そのまま過ぎてしまった。後進国と言うかで、選挙の内容が正しくない、と言うそれはしかし、「メディアに取って」その結果が正しいとは思えない、だけに過ぎなかったりもする。Youtubeだけじゃなく、本来なら民意が現れる筈の視聴率などの数値も、今は信用出来ないモノでしかなく、その上での数値それは、所詮は権力に因るパワーバランスに過ぎない、訳だが。
…とは言え「トラフィック」ネットの負荷、そう言う物理的なそれが現れるのもまた、現実ではある。インターネットと言う構造の、或いは唯一かの良い所ではある、その「人々がいっぱい見に来ている」と言うアクセス数その物は、「物理的なそれ」であって誤魔化せず、そのまま奇妙な負荷としてそこに目撃者を創る。それを見た後の、権力の対応そこにも、真実は現れる。民意が如何に歪ませやすいにしろ、そこに民意が有り、それに反する限りは、そこに利益性は無い。
或いはウクライナの現状は、それ故かもしれないのだ。
ゼレンスキー大統領は、何を背に大統領に成ったか?ではある。彼を押したそれは、何をそこに求めたのか、だ。当時の「人気」と言うのがどれだけ信用し難いモノか、ハリウッドの映画、その結果を語る迄も無く言える話。”それ”は或いはインターネットその物に寄生したかもしれないが、何かの大きな不足に喘いでは居る。”それ”は自分らが創ったモノじゃないのだ、解らない部分に何かが踏み込む時、それは亀裂を加速させていく。
ともかく「独裁国家では無い」それを主張する為にも、「大賀さんの決定には従う」それは重要な規約には成る。その結果、民意は政治に反映され、そこに利益は発生する。その流れに対して、或いは「ウクライナは否定した」事に成らないか、自分の想定通りに、ガンプラバトルの結果に逆らったのなら。
パパラッチが見た夢の結末は、果たして。
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