「その先」を考えるべきか否か、ではある。
その環境は、いつまであり続けるのだろう?
需要の問題か、結構アイディアは出てくる。「アルカディア」でも「エロい」そういうのも描ける、シチュエーションで想像する、というのは逆に高度かもしれない。「俳句」という文化は残って居る、使える文字は5・7・5,良くて7・7、基本17文字、最大31文字で情景を想像させる文化は、今もあるのだ。
”これ”もまた、そういう物?
すると、このハードか「条件」は、”このまま”永続させる、様なイメージになる、訳だが。
「ゲームは創れる」のだ、そして俳句もまた、今も、新しいそれは次々と生み出されている。目的は「最下層の救済」である、しかも世界規模での。パワーによって蹂躙される恐怖を前に、”それ”を使えない状態で生き残りを目指す時、そこには確かに何か、特別なモノは必要で、そして「ある」。
・・・だとして、「まともな俳句の一つも作れない奴に役職に就く資格はない」それは道理か或いは。
ともかく、そういう事が出来る時、疑問を前に、返答は少し、出来る。
ステーキ屋、入口に肉が置いてあり、客は”それ”を指定して、目の前で必要量を切ってもらい、それを期待する様に焼いて、テーブルまで運んでもらう。”後”は普通のファミレス的な追加注文式。
「いきなり!ステーキ」その改善案?の一つ、みたいなニュアンス。ステーキ屋としては珍しい、イメージのある情景の様な気は、する。この感覚が何処から?と言えば、アルカディアでのゲーム創案、その意義とその先から、ではあって。そういえば昔から、ヒーロー合体ロボとかは、なんでか何処からともなく「剣」を”生み出し”て、敵を撃破してきた。
「そういう物なんだよ」
先人の苦笑の様なモノを、理解するにはまだ、話は始まったばかりの様な気は、する。
ガンダムの世界で、”これ”を描くのは多く「間違い」だろう、求められているのは紛争解決、現実の対立、その決着である。「未来を創る」そういうのは、実際にはガンダムの役目ではない、結論ではそれに近いモノは描くが。ガンダムはあくまでも二択のどっち?を決着させるだけ、だ。その時、「新しいモノ」それがそこに発生する必要は無い、ガンダムが嘘を描く必要は無い訳だが。
その上で、プログラマー、或いはゲーム業界、いや今では近代文化”全て”に対して、アルカディアが「認証」権を持つ、その是非には、少し考えてしまう部分はある。
誰でもそうだろう、「自分のやりたい、創りたい物は、全て出来ない」のだ。その上で、新しいモノ、それを創造せねば、この環境で残る事は出来ない。そしてその条件を呑めない奴は、プロを名乗る資格もないし、もちろん”使わない”のだ。この世界で生きようと思うなら、これは超えねばならない壁である、しかし。
自分が言っちゃいけない気もする。
せめて、メモリがあと20GBくらいほしい。
まだ足りない、そういう事、だろうか。