人は迷うモノ、だが。
その時、どうすれば良い?に、返答してくれるのが神様ではある。
多分その時、”その分野”では?「女神アルテア」それは、割と適当な気はする、過不足ない。
一応は、「誰?」に対して「概念です」的な、そう言う帰結はあるのだが。
だからこの世界、或いは神を騙る魔女が多い…かもしれない。
私こそキリストの生まれ変わりである!を言う様なモノだ。定番の邪ではある?
説明はし易いのだ。
「何故?」「アルテアは、世界を美しいまま維持したいから」その、アルテアの求める美、と言うのがまあ、”今の環境”ではあり。良くも悪くも「特別」は、勇者は居て、世界に起きる問題は多く、彼らによって打開される。王が居て、戦士が居て、魔法使いも、或いは美しい姫君も王子様も或いは居る。”彼ら”の「活躍する場」も勿論存在し、現れる魔物は倒さねば成らず、戦士らは必要とされ、人々はそれに守られ暮らしている。
アルテアは、そんな様を「美しい」とし、それを求め、結果で、この世界はある。
それ以上の理由は無いのだ、人間がそれ以上を考えるのは、単なる徒労だ。Aを好む結果として、対価の様にBと言う悪夢が現れる事もあるだろう、それを許容した上で、この世界はこの世界として存在してる。
「自分には」それはまだ、ちょっと他者の同意は得にくいかもしれない。ともかくはまあ、ユダヤ教が失っていた「太陽信仰のシンボル」それに近い?かもしれない。”それ”を導入する事で、やっとかユダヤ教は?生産性、”それ”を手に入れる事には成る。今までと大差ない、ただ、少し具体的ではある。
何故売れたの?
アルテア様が気に入ったから。
何で売れないの?
アルテア様が気に入らないから。
売れるモノを創らねば、生活は出来ないその時。「何を創れば良いんでしょう?」或いは、アルテア様への祈祷は、明確かの返答としては、そこに浮かぶ何か、だろう。
ただ、対価は必要だ。
色々と、感覚の変化?はある。ユダヤ教の王「モーゼ」は、「大衆は神である」その視点では、”神”に失望された愚か者でしかない。旧約聖書とは、単なる物語の集合に過ぎず、そこに描かれる「神」それはアルテアの様な存在だとしても?ともかく全ては、その意識の中にある空想に過ぎない。そのアルテアにしろ、「他の世界」との軋轢の先に今の世界、何かの妥協の産物、それはあるのだ。その上で「求める美」を維持し続ける術を、”この世界を好む人々”が求める物を、彼女は持っている。
プラスも有れば、マイナスもある、それが”現実”である。
理解した先にしか、その先は、生産性それは無い。
「その先は貴方が描くべきでは無い」もまた、その意向だろうか。
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