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あげちうのブロマガ

少女漫画の今と過失

それは、思う所はある。

流石に、チルノ扱いされて喜ぶ人も少ない。

解らんと言うのに。

今の把握として、「アートスケール」で60点以上、でプロだが、この数値で利益は出ない、と思った方が良い、らしい。利益は70点以上から、で。話題!と言うレベルは80点を超えた所、だ。その「利益が出る」帯域以上を目指す人々の、ある種の「オープンチャンネル」と言うかが、実際には「ガンダム」だ、と定義して良いのかもしれないが。

60点で、創作としては「問題は無い」のだ。

ほぼ、「利益が出ないだけ」だ。

”それ”で良い層、と言うのが少なからずあり、実際には”そこ”に「少女漫画」その層が有った、と言うべきかもしれない。ともかく?どうも少女漫画と言うのは、「社会的な利益よりも大事なモノを優先する」そう言う傾向は強くあった、のだろう。

アイドルとして成功出来ても、好きな夫と結婚できなければ意味が無いのだ。
漫画は、「その為に描いている」のだ、そして、その後の人生の為にもだ。

読者?それはどうでもいいの。

ちょっと。

”この”感覚の、残念な帰結の一つがあの「岡田有希子」さんの自殺、ではある。売れるよりも大事なモノが、その時、彼女の前で拒絶されてしまった時、それは自死しか選択肢が無かった、当時の理解もある。「命を賭ければ通らない事など無い」的な、それはでも、実際には通らない、相手だって命懸けだから、だ。

ともかくか、これを境目にか、「少女漫画」それは、下火に成って行った。

しかし、「なんで?」それは今も、何かの燻る火種として残っている、のかも。

女性だけでは無いかもしれない、当時から語られる話、だ。「恋人の一人も居ない人間に成功は無い」まずそっちから、というのは、時々聞かれた話。これも言葉は反発の起点でしか無かったろうか、真実は幾らか含まれていても絶対では無い、しかし、メディアか何かでブーストされる結果、どんどんと反発を強めて、何かの対立へ至り、今も?

「ガンダム」とは、そんな環境の狭間にある、「売れる人々」その、共有感のある領域ではある、のだが。

そうだろうか。

ともかく少女漫画好きと言う層に、それへの理解、同意、社会正義を何より優先する、それはちょっと、同意しかねる、そんな何かではある。

懸念すべき絵だ自分以外の、夫やその他は”皆”その領域にいるのに、自分は居ないのだ、話が出来ない。議題とすべきは自身の家庭その他のその後であって、ガンプラの売れ行きとか、それはほぼどうでも良い話なのでは。

「売れる物を創らねばダメだ」それへの真剣さは、ちょっと理解しがたい部分はある。

ガンプラが売れないと社会の経済規模が広がらないのだ、もちろん自分の居場所も認められないし、社会不安も増大する。創ってる人々の胸先三寸で「売れなかった」済む話では無い、万人が納得する物語にしなければ売れないだろう、作家性などそこで出すべきでは無い。

馬鹿なんじゃないの?

正直、これを予測するなら、黙ってる方が得策ではある。

ガンダムと、テレビゲームには似た所はある。幼稚でさえ有る見た目のくせに、中身は国家の運営にさえ関わる高度さが投入されてる。漫画なら、例え間違っていてもごり押しで通ってしまうが、プログラムでは単純にバグだ、酷いと動かない。後者のそれを理解した上で、そのゲーム、或いはガンダムの物語、それはある。単に自分の趣味だけでは、絶対に通らないのがこの領域だが。

それを、低レベルと言って良いのか否か、そこは悩む話。

「低レベルだ」と不満に侮蔑する方が悪いのか、理解しない方が悪いのか。

今もまだ、混沌は続く。

 


使用イメージ
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10563655
https://publicdomainq.net/vilhelm-hammershoi-0056695/

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