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あげちうのブロマガ

欠落の齎した理想の結末

それは正論か?だ。

現状「仕事」それは、”ここ”の要求に応える、という事に有るのだ。

「官僚の王」それが飯塚幸三氏では無くなったら、移動先が”ここ”に成るから、だ。

ともかくその時、”その”意向に従う、と言うのがどうも、ストレスではある。
自分自身でさえ?だ。

「”お金”に成らない事はしなくて良い」

”これ”が徹底できないと、結論で「売春」そう言う需要?強要する何か、そう言うのは否定出来ない。その結果、環境が悪化するとしてもそれは、主に行政側の政策ミスであり、官僚がまっとうに仕事をしているのなら?それは政治の問題ではある。「働け」と言うなら、それに比する対価は必須だ、それが無いのなら、それは行う必要が無い。

”これ”を否定する時、そこにはまだ、「飯塚幸三」と言う王が居るのだ。そして、削られるだけ、と解っていても「仕事」をさせられる時、何かの破綻はそこに有る。

既存と、今後で、領域が違う。前者は身を削っても働くが、後者は幾ら環境が荒れても”それ”はしない。一応、後者のそれは不満偏向され、「行政」そこへ向く事には成る。末端への供給が滞っていないか?供給が無ければ働けない。後者はまだ、主流とは言えず。”それ”を前者に向ける訳で、前者はその時、後者に従うのではなく反発するなら、そこで対立と無理は発生する。

一応主観では、前者は増えない、後者は増えている、そう言う”感じ”はある。

今の所、「新型コロナウイルスは大変だ!」で、誰も悪人には成らない状況は続いている、が。「末端は苦境である」それはより、強調され始めている、そう言うのは間違いない部分はある。今までは、税金を納める程には儲かって無くても何とか続けられていた仕事が、今はもう継続不可能になった、その時、それは誰の責任か。

前者の行政に、打開する能力は無い。ただ、後者のそれに、社会的な信用は無い。

後者の物言いが突飛だ、と言うのも有るが、他にも「インターネットで高アクセスと言うのは、破綻の予兆である」そんな現実もある。アクセスが集中すると、急激にレスポンスが下がるのだ、それは構造的な問題。面白い!コンテンツが増えると、アクセスは爆発的に増加し、今の機構では直ぐに解像度が下がってしまう、そう言う欠点はあり、それは今も、打開出来ない。

この先は無い。
この先に有るのは、「ダウンロード型」の方、かもしれない。
ストリーミングでフルデータをロードし、再生時だけ許可を貰って再生する。
その方がもちろん安定したクオリティで映像は楽しめるし、負荷も低い訳だが。

ただつまり、「ビデオ・オン・デマンド」それは、結局は無理だった、訳だ。

主観で、”この”構造を推奨したそれは、でも最大でかアートスケールで、25点程度のスコアしか持ってない。幼稚とも言えるそれを強引に前に出す、チャウシェスク大統領の暴走に近い”それ”の結果が、インターネットのクラウド、その現実だろうか。その時、アートスケールは無かった、今なら、それを拒絶できる。

そうだろうか?

「大衆は神である」それは何故か、彼らを野放しにし、30年以上も、政権?を与え続けた現実はある。

当時、アートスケールは無かったが。

これは、そこまで深刻な問題だったのだろうか。


使用イメージ
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im10757690
https://publicdomainq.net/kamisaka-sekka-0054934/

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