今言う「ウィザード」とは、どんな存在か?
「それをやったら壊れる」という事を、”あえてする”奴が、その始まりではある。
それが何故存在しているか?は見えない部分も多い、しかし。
ともかくその結果として”そこ”に重い権力の様なモノが発生してしまった、そう言う現実もどうも、ある。
「不満偏向砲」それを、自分も最近は、意識してなかった部分はある。
しかし、「被せ」よりも前に、実はこれは問題として大きかった、のだ。
具体的には「ストライキ」が、不満偏向砲の「認められた用法」の一つ、ではある。
鉄道がストライキに入った時、困るのは誰か?と言うと、「利用者」である。彼らは鉄道に害する存在か?と言うと違う、無関係かつ、或いは有り難い顧客なのに、何故こんな不満を感じねばならない?”それ”は、行っている労働組合で偏向し、”経営者へ”向く。その結果、経営者は重い否定感に晒される、訳だ、打開を求められる。労働者が経営者に対抗し得る、ほぼ唯一の手段ではあり…これは認められている。
”これ”と同じ事を、創作も実は、更に少数で、比較的簡単に出来る。
「なんでこのキャラ死んだの?」
時々ある、「なんで?」ではある。10万人の読者が居て、その半数以上が「この不満」を持つ時、5万人以上の「なんで?」と言う、或いは殺意さえ伴う不満は作者を襲う、が。「何故?」に対して作者が何を設定していたか?或いは、理不尽に実際に死んだ仲間を”そこ”に投影してたりすると、「その原因」に、その不満は向く事には成る。
その結果、その作品が歪むとしても、だ。
”その”打開の方に、比重が乗る事はある。
こういうのが入ると、作品は忌避され、人気も失うのだが。その結果として「敵」を倒せれば、或いは必要な犠牲ではある。
”現場”の感情論はともかく。
こういう事が「出来る立場」が有って。そこに居たから歪んだのか、それとも歪んでいたから”そこ”に入って行ったのか?は解らないが。平成で、創作の多くが売れなくなった時、「必要性」を実際には”ここ”に向けられてしまった現実は、或いは有る。「暗殺兵器として」創作は使われる様に成ってしまった、時期がかなりある訳だ。中国とかでもよくあるが、「悪いのは日本である!」とか、その不満を偏向し国民を操る?場合はある。その結果、彼らはより一層、何かの忌避的な権威性を持ってしまう訳だが…しかし。
結果として、飯塚幸三氏があの事故を起こした、とした時、そこには壁がある。
今も尚、彼らは余力を残している、感覚はあって。”それ”が完全にか消えないウチは、明確な安心感は得られない現実はある。人を二人轢き殺した、事は実際には明確な過失に成らない、「運が悪かった」そう言う事は時々あるから、だ。もちろんこの場合は違うにしろ、”彼ら”は不満を偏向させる事には、スキルがある。
そのスキルは、権力は今、でもその「壁」に向いている、のだ。
「新型コロナウイルス」さえ、或いは彼らによる、何かの自爆テロだったのだろうか?
可能性は、あるのだ。
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