あげちうのブロマガ

つまりパンさえも無い

パリオリンピックで、誤審と言うか、それが相次いでいる、状況。

そもそも開会式が既に、運営側が謝るほどに偏った内容だった時、それは。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力

「たくさん採れたよ、そっちは?」あああああ(/ω\)。

 

”戦況”は、既に「負けが決まったという”事実を”覆さねば成らない!」状況に陥っている、というべきか。それはオリンピックの理念そのものを否定しつつある、そんな暗雲さえ感じる。認識の問題は深刻ではあり。

良くも悪くもTwitter、現X、”その状況”がここが要求する「テレビ」その様になる、訳だ。ただ、それは今の「テレビ」側の把握してる状態からの帰結として、だ。実際には「審判が選手の敵である」様な、そんな状態とそしてそれによる騒乱、ではある訳だが。審判側が何かの不平等、不正をしていない限りは、その状況は如何に騒乱であっても「問題無いモノ」としてある、筈なのだが。

戦争よりも、もっと平和的な「戦い」をしよう、それもまあ主観ではある。

ともかく「カウンタ制御」それは、オリンピックにおける「誤審」偏り、そう言うモノではあるだろう。

現状の主観では、感覚で「徹子の部屋」に出れない(出せない)奴は、「テレビにも出れない」のだ。メディア、マスコミ?の議題に成らない。結果でテレビは思想的な統一を形成はしている、出れなくならない様にするには?”何かの思想”に膝を折らねば成らない訳だ。それが、「現状のXを肯定する奴は要らない」ではある。想像すれば当然ではある、思想的に対立してる奴をなんでわざわざ呼ばねば成らないのか?それはそのまま、思想的に反する奴はテレビに、メディアに出れない、そう言う事態になる。

テレビ、それが要求する「戦争の無い世界」その、一面での具現化、ではある訳だが。想像すると確かに面倒かもしれない、テレビのチャンネル、いや番組枠同士で常に対立している、訳だ、それも複数。思想的には本来は「それが普通」でさえある、のだが。違う思想では怒号飛び交う会議場ではある、既に議題が何だったか忘れられた様にそして、やがては誰かが拳銃かでも持ち出して、それは紛糾するのだ。

その体感論はまあ、想定での最善を中々超えられない部分はある。

理解?では、根拠は「雰囲気」それでしかないが、NHKも何故か、経営的にはかなり問題を抱えた状態ではある。お金という観点ではしっぽを握られた様な感じで、その「お金を持っている側」にかなり譲歩を強いられている?的な事態はあって、しかし。だから、オリンピックは「革命」そんなテーマを描いてしまった、そう言う事は有りえるかもしれない。

マリーアントワネットが首を切られた後に有るのは、退廃と騒乱、そして終末である、人類に呪いあれ!

「徹子の部屋」は果たして、或いは何時までマリーアントワネットであり続けるのか?という、それはそんな現状と現れ、だろうか。権限を失った、失いつつある、そう言う事は有りえるのかも知れないが、それでもオリンピックの大舞台を前に、それはそう言う事が出来る、そんな権限かをまだ、持っている訳だが。

ともかくまだ、Xに対しては言論封殺、までは起きていない…そこは、少しの変化かもしれない。

今の騒乱、と言って良いモノが単なる演出みたいな物だとして、果たして視聴者?は何を見るのか。

「お金が無い」それは、何処に現れていくのか?ではある。何が理由で荒れているのか。

視聴率それは、昔から胡散臭い何かではあった。

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