「ゲーム機で決める?ふざけてんのか?!」
この反応に対して、まだやっぱり同意する弱さはある、が。
「正義かどうかは俺が決める!俺こそが神だ!!」
…それよりは、明らかにマシなのだが。
もちろんこの「俺が神だ!」は、その「大賀さん」そこでの負け組である。勝てない事に対して不満を言い、そう言う反論をする、訳だが。この反論に対して弱さはある、負けても相手は死なないのだ、リアリティがない、と言えばそう。
ただ逆に、この時反論するのは「負けた側」ではあり。なら、自身で実行すれば、構造の不満それは消滅する訳だ。ともかくPUBGで、「自分のチーム以外は妖怪に見える」様にするべきか否か?「敵は殺しても良い存在だ」”それ”は、戦争の一面ではあるのだが。そこは最近語ったが「相手も同じ人間である」そこに繋がっていく気は、する。
「俺が審判者だ!」確かに大賀さんは、”そう言う存在”なのだ。その意向の発生は、「大賀さん」その、欠陥なのだろうか?そこは重い疑問はまだ、ある。
結論的に紛争解決機構に参加!する事は。或いは「ガンプラ」さえ手に入れば構わない、状況は有る。”そこ”を通じて、”それ”をユニットにして、仮想の戦場にアクセス可能ではあり。その上でまあ、ブログなどでの「主張!」をする事で、そのユニットを楯にし、戦場に介入は可能…ではある。PUBGに参加しようとしたら相応のPC的装備は必要だが、紛争解決だけが目的なら?無理してゲーミングPCを用意する必要は無い、訳だ。個人で状況を打開する事は不可能でも無い、現在の「結果」は、”それ”を象徴はするのだが。
「俺が神なのに、なんで勝てない訳?」
視界として、自分は仮面ライダーだが、敵は邪悪かつ醜悪なる怪人らであり、戦闘員だ。俺は仮面ライダーなんだから!そいつらを!バッタバッタとなぎ倒せなければ!おかしいだろう?!
もちろん仮面ライダーのゲームだって実際は、強敵を前に下手なら?仮面ライダーでも負ける訳だが。最近はライダー同士での衝突も多い、仮面ライダーだからって、絶対に勝てる訳でも正義である訳でも無い、最近の方向ではあるが。
古き良き昭和は、結構「正義は勝つ!」のでは無く、正義に設定された側が勝たねばおかしい、そう言う倫理だった、それも間違いはない現実はある。現在の「仮面ライダービルド」デザインだけで言うなら”完全に悪役”ではあり。それでも仮面ライダーなら!彼は勝利しなければおかしい!それがまあ、今の仮面ライダーの抱える問題、かもしれない。
次の戦場は、或いは…この辺なのだろうか?「仮面ライダーとは?」正義に設定するから勝者なのか、正義の側を勝者に設定しているのか。昭和は遠く、平成は良くも悪くも悪に支配された時代ではあって。その一翼として、仮面ライダーの些細な混沌、”それ”が瘴気を放って居なかったのか?とは言い難いのかも。
仮面ライダーの未来、それはどっち。