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あげちうのブロマガ

役立たずという言葉が殺しに来る

確実な事が言えないのは、どうしてもいろいろな物が曖昧に成ってしまう部分ではある。

「役に立たない」そう言うのは、常にある否定か苦痛ではある訳だが。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。

隅っこで壁を作っているのか、それとも牢に入っているのか。

 

「増えない」と言うそれは、深刻な実感には成ってしまっている。理解ではまず農業は、効率化の末に従事者も利益も減っていく、それはある。以前にウズラの卵農家の話があり、利益が”一個”1円未満みたいな話をしていた様な感じで。それでは全国で何件ウズラ農家が有るのか?という話。果たして給食でウズラの卵で喉を詰まらせて死亡した小学生は、”何”を食べてしまったのか、不意に思った。

「ウズラ農家の未来は何処?」そう言う問いに、返答し得なかった、のだろうか。

そう言う深刻な話題を給食に乗せるな、と言ったって、現場の従事者が不意に問う物がそこに載ってしまう、そう言うのは、ある。視点が局所的で、打開へ視線を向けられない。ダメになる一方しか意識が向かないのは、深刻な経験則の業だろうか、それとも多数決の結果、だろうか。

「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」では、結局は当時の多数決?そう言うのを跳ね除けるまでには至らずに全滅オチに成ってしまった?感じはあり。あの時も感じたが、”何か”を支配する意識には、打開への出口がない。そしてそれは、「ガンダムSEEDフリーダム」が大ヒットした、という情報に対しても、希望は見ていない。

一度過失を犯したら、償いを果たす迄はそれは呪いとして、自身の行く末を暗雲に染め上げるのだが。しかしそう言うのに染まった人が何故か、世間を統制する側に居る、のだ。

能力不足により過失が発生し、それに対して何の償いも出来ないまま、過失は瘴気を纏って行った…そう言う感じだろうか。

農業従事者などが減るのはしょうがない、あらゆる面で自由市場ではそう言うのは定理でさえある。問題はその際に失われる雇用をどうやって作るか?ではあり、その際に「創作」その隆盛は、追加の雇用先を創出し得るほぼ唯一の手段である。

本屋が映画館がネットカフェがゲームセンターが流行れば?そこに居る従事者は、関連産業は、他に仕事を探さなくていいし、更にはその人々自身が、他の業種にとってのお客に成ってくれる。”それ”は創出される職業として雇用先を増やし、経済を活性化してくれる訳だが。

これは逆に「役立たず」それを、強調してしまうだけ、だろうか。

「恋人がいますが、望む職業に就職できませんでした。どうしますか?」に、「恋人とは結婚しつつ他の仕事を探す」と言うある意味での”普通”が選択できない、という認識には、壁はある。「既に他の仕事も無いんですが」とか、そこに「それは有りえない」的な、動かしようがない断言、そう言うのもある。「幾らでも仕事なんかあるじゃないか?!」それは実感的には無い話だ、が。理念かの問題だろうか、「私は間違っていない」それは、現場の現実を時々無視してしまう、深刻な悪夢として残る。

「人力発電機」が無い、導入できない環境には、そこにしか職を求められない状態の人々を救う事は出来ない。

では?

そこで殺してしまう時、それは、誰の過失に成るのか、ではある。

売れる作品を作る、それは、”この”世界の中では何だか、無理ではある。

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