今から12年程度前、というと、2011年前後、ではある。
その頃に流行っていた物?それは、アニメに限定されるのだろうか。
散弾銃乱射事件での犯人は、取り調べで大学生の頃、「部屋に盗聴器やカメラを仕掛けられた」相手は解らない、という一般論での妄想に憑りつかれていた、らしいという。この「誰かが盗聴している!」という感覚は、自分も結構、無視できないそれで、「自分の作品がカウンタ制御されて数値が低くされている!」という理解と、果たしてイコールか?それは今もちょっと議題になる話、ともかく現状に至っても、これを打開する術が見いだせてない、訳だが。
ただ、「誰かが監視している!」に関しては、「嬬魔」萌えキャラ?それが、そう言う妄執を標的に与えかねない、それは少し、思った。
昔からある、「ガンダムを美少女化する」とか言う奴だ。”標的”に対して嗜好の理想を要求、それへ補正しようとする、というのが存在意義だが要するに、「24時間監視して、理想通りになるように仕向ける」萌えキャラとは、”そう言う魔物”である、と言っても良い。フィルタを通して「悪い部分」こそが魅力、という形に発露するそれは、ただ結局は対象から「授業料」みたいなノリで”価値を吸い上げてしまう”だけなんで、標的は或いは精神が痩せていく、そう言う感じには、成る?精神を持たない機械とかならまだ良いが、人間とかの場合は、果たして。
この理解では、今の「うま娘」にも懸念はある、実際に生きていて、そして引退した馬に対して”これ”をする、と言う相手へ与えるストレスの是非ではあって。結構、このコンテンツが始まってから、いくつかの馬が急死?している、そんな話もある。
何らかの原因で、犯人は、”この”標的に成っていた、のだろうか?
時期的に思い出すのが、「はい寄れニャル子さん!」ではある。
…そう言えば、あの作品の主人公は、美少女(・・・)であるニャル子さんの腕にフォークを突き刺す、という凶行を冒頭からかましては、居た。昔から激昂すると何をするか解らない、様なところがあったという事か…ともかく。”何か”が理由で、彼はこのコンテンツの監視下にあった、そんな感じだったんだろうか?
この辺今も、自分にしろ抑止も否定も出来ない、そんな??は続いては居るが。
「そう言う事をするな」と言っても、抑止し難い。標的に「こういう存在であって欲しい」その願いは時に意味は有るから、だ。結果で相手の凶行を抑制できるならむしろ必要な処置かもしれず、だからか、一応「はい寄れニャル子さん!」は、相応の知名度と共にそれは残る。ただしかし、最終的にはこのコンテンツ、形になった、的なイメージは微妙に無かったりはする。結局、何かの打開には至っていない、それは或いは。
今まで通り、という環境の問題、だろうか。
結局は誰かを生贄にしなければ利益、それは無いのだ。
この頃、同時に、東日本大震災も、ある。
顧みるべきだった、そう言うのは或いは。