あげちうのブロマガ

今まで通りという理想と亀裂

「かむろぎ」を前に出せ、というそれは正論に成りつつある、が。

その結果発生する損失が如何に個人的な事でも、嫌な物は嫌だ、それは厚くある。

 

だんだん、下がってきている?という事なのかもしれない。時間経過と共に、その領域の「責任」その所在がどんどんと下に落ちていた、そんなニュアンスなんだろうか。現状を現状のままにする決定を、最終的には何処でしているのか?それが、一つの節目としては「飯塚幸三」氏の破綻から始まって。最初は”そこ”にあった、それからコロナ禍が始まって、そして次々とか、変化が起きていく、安倍晋三氏の暗殺もその一つとしてあって、「失敗」そう判断されて次へ。”それ”がやがて、自分の地元の、長野県中野市の「有力者」そこまで落ちていた、のだろうか。

今まで通り、”それ”を継続せんという、硬い意思というか、その所在へ。

”その”現場にとっては、或いは「位が上がっていく」様なニュアンスだった、かもしれないしかし。散弾銃発砲事件の犯人は、個人的な推測では「未来がない」その絶望の中で歪んでいって?最後の強行に至った。今まで通り、それがもう行き詰っているのは、世相その物の理解として有って。それでも”それ”に抵抗する時、そこには重いストレスが発生する事には。

もちろん?推測では”それ”でも抵抗する、所にこそ、その権限は廻っていった、訳だが。

流石に、「最後」そんな気も、する。フライホイール、重量物の慣性は一度始まるとしばらくは維持される、無理して止めようとする方が危険、というのもある。一気に変わる、という事はないにしろ、次第に流石に、「今まで通り」それは否定されていく、更新される、そう言う変化が始まる、ここが節目だろうか。

ともかく「どうにかしろ」それが、「自分へ」廻っている、感じは少し、有る。「誰に話を付ければいいんです?」の「誰?」それは自分で有って、自分の決定が、今の最終的な決定になった、感じも。

つまり今、自分の行動に疑問を向けるのは自分でしかない、訳だが。

その時、不意にある衝動として、「かむろぎを前に出せ」それは、そこに声としてある。

かむろぎ、自分が20年以上前にか創案した、”流通”ではある。最初はゲーム会社、というニュアンスだったが、それは発展し、今ではいっぱしのコンビニ大手と張り合うような。

…正直、この辺は今も自分には、妄想に近い話でしかない。一方通行だ、「通じている」と思った所へ、一方的に送り付けたに過ぎない、返信が明確には無いままに、だ。しかし”これ”は世間の「今まで通り」それを命がけで守らん、という壁の向こうで発展し?NHKに100兆円を貸す様な大きさにまで成長している、これを隠すのは物理的にももう無理がある、と。

色々な単位その他が非現実的なイメージのまま、今もまだ、主にマスコミ?の壁の向こうにはある訳だが。

その無理を通す!意識の、その帰結が散弾銃乱射事件としてある、そうは思う。犯人がその前に、「かむろぎ」側にコンタクト出来れば少しは、しかし?”それ”はそのまま、責任の放棄か、或いは今まで通りの終焉、”それ”に通じる事態では確かにある。相応の家柄、という事はそこには強固な柱もある、そう言う事ではあって。状況に対応し難く成っても、それはそこに残ってきたモノではあるという現実は。

・・・今後もそんな想定外、として。何かどこか、問題は起きるのだろうか。

「農業は補助金なしでの維持は無理だ」それへ挑むべきだったか、或いは。ともかく現場の”担当”それは「無理です」それを言えない?まま、破綻まで突き進んだ訳だけども。

…破綻しているのはどこなのか、ちょっと心配には成る。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事