あげちうのブロマガ

願いの先にある人の限度

前にも何度か考えた事のある絵、ではある。

世界を全て支配してる存在が、「自分の作品を買う奴がいない」事に苦悩してる。


ともかく、創った作品に対して、人類の誰も否定できない、という時。その作品は幾ら?という問題だ。人が人である限り、”それ”が否定される事は無いだろう、という”それ”は。未来永劫に渡る真理としてそこにある、訳だ。その価値というのは天文学を超え、或いは無限、そこに容易に到達する。

”その”価値が、やがては世界を買ってしまう、という結末も実際にはある。作者がそれを求めてるか否かは別問題だが、ともかくその時、その作品は「世界と等価に陥る」訳だ、作者は意せずして、”世界を買った”事に。

その、描かれた理想に対して、世界は恭順を示した、その時。

「貴方だけが良い思いをする、というのはその正義に反するのでは」

それは、自身の声でさえある物として、その時そこにある。

世界は自分の理想に支配された、訳だが、その理想に支配されているが故に、世界は作者を特別扱いしない、という結果があって(ここで特別扱いする様な理想では、そんな高い数値に成らない)。「高い価値」というのはそういう絵には成っていく・・・平等公平、商店街が総じて流行っており、その環境は問題ない法と秩序に支配され、人々は安心して暮らす事が出来る環境だ。これは決して夢物語ではない、とかいうその時?特権の横暴、それは厳に抑止される事には。

”作者も”だ。

むしろ筆頭である。

結果、その絵を描いた作者は、不意に、その絵が「売れない」という事実に気づく事には。

「売れた」と言っていい、作者の願いは叶った、それが対価だ、単に期待したお金の利益、それには成らなかっただけだ。


そして「特別扱いされない」状況として、何かの窮乏にあるというのは、自身のシステム、それがそういう物だ、という事でしかない。改良する権利は作者にはあるだろう、しかし”それ”を試みるなら、作者はその、得た権利、それを失効する事にはなり、そして再びの再査定、それに挑む事には。

めんどい、というか或いは”無理”だ。

「問題はない」のだ、世界の誰も反論し得ないのに。

それは解っている、しかし、現状は想定とは少し、異なる状況ではある。「人間は神にはなれない」結果、未来を創るというか…誰かの想定通り、そういう事はほぼありえない。想定外ではあるが、オペレーションにそれほど大きく異相な訳じゃない、強いて言えば、現状は嬬魔の意向が強く出てる、そんな。

社会システムとしての完璧、それは、結局は”個々に対して制約を設ける”そういう事にはなる。
強力なパワーには比する倫理を要求する、然るべき場所以外での横暴、それは厳に慎まねばならない。


その上で、先に出た話の真実は?だ。社会は全て自身のシステムに飲み込まれている。逆に言えば?この理想、システムが利益性を持っていれば、社会全体に富が増え、然るべき額が、自身に廻ってくるのでは。そうなってない?じゃあ何か問題があるのではないか、それは何処だ。

「良い暮らし」とは、果たして。

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