あげちうのブロマガ

正義を目指した迷路の中で

現状の感覚で、「いらない人」は、居る。

「私は神だ」そう、自認しちゃう人は、現状の構造には不要だ。


結構、繰り返しにはなる、「それは、只の馬鹿なんじゃないか?」しかし。宗教とカルトの違いとは、前者が物理的な理解を土台にしているのに対して、後者は個人の主観を神にしている点、ではある。前者の「神」はハッキリしないが、後者には明確に居る、ただ人間の欠落と共に、その教義は間違いなく歪んで現実と対立は起こすのだが。

だから「私は神だ」そう言う奴は今、決して無視できない権力?と共に、居る訳だが。


彼らが”発生”する理由、そこには構造の様な物は、ある。物理的な「無理」を推し進めようとする先で、破綻した所からその理不尽を背に「教祖」それが発生する。そして、”それ”が打開されない限り(それもそうとも限らないが)彼らの主張は何かの正論性と共に、一般社会へ圧力と言うか…汚染?それを始める訳だ。一番ひどかったのが、あのオウム真理教ではあるが。他にも日本には、本当に数多のカルト教団が犇めいていたりはする。その、教祖の全てに対して「死ね」それは適当か?そこには反論か多数決か、そう言うのは、ある。

一つの追及の果て、一応「実在する神様」としての「大衆」それを背に、「大賀さん」紛争解決機構、”それ”を構築するには至った、のだが。「後は自然に」と、そう言う話は10年以上は前にも言った事はある。その後、状況は改善するどころか、私見では悪化を続けた?訳だが。

自分らの世代であっても、”それら”カルトが発生した事に対しての責任を問われても、困る。マクロで言えば「昭和天皇真理教」知らずに”そう言うの”に入信していたのだけど、それはその死後、多くの権威性を失って、平成の暗黒時代へ陥った。推測では、”その”後を引き継ぐ形に成ったのが「ユダヤ教の王」ではあるが、ユダヤ教自身が、実際にはカルトだった?可能性が多々あり、その王もまた、”そこ”に陥って、物理への戦いを始める様な感じで…そして最後は消えて行った。その権利は(主観では)”ここ”に損失の対価として置いて逝く事に成った訳だが、それでもその所有者?も、思想の違いと言うか、自身を神とは言わないので。意識、視線?それは、「誰が神だ?」それを或いは今も、見ている。

その先に今、ゼレンスキー大統領がなんだかいる、感じも、する。

全く無関係だった訳じゃないだろう。ウクライナでのユダヤ教の影響は無視出来ないと言う話。それらの”ここ”の言う事を聞くよりは、という意向は全て今、ウクライナ支持へ向いている訳だ、そんな悪夢も、割とリアリティだったりする。

人間の範囲から出るべきでは無い。

故に、個人の把握からすれば「ゼレンスキー大統領には極刑を求める」それが限度だ。

恐らくは「大賀さん」それを前にして、少し違う結果には成る?だろう。とは言え「ゆっくり茶番劇」が敗訴、という形に成った今、「黄昏の狩人の所有者は私だ!」と、勝手に言い張るそれもダメ出しされた、と言って良い。”それ”を持っていないゼレンスキー大統領を「神」と認めるか?は、ウクライナの国民性の様なモノかもしれない。期待?はある、支持を失えば、戦意も意味も亡くなるのでは。

ただ、その時に、責任の所在と賠償?それはどうなるか。

或いは何かの理不尽を背にしても、それは妥当か?

返答し得ない限り、この夢魔はそこに居るのだが。

返答し得るなら?人の範囲も超えるのかも。

道理は、何処。

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