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あげちうのブロマガ

老いた子供らが楽園に寄生する

それが産業である限り、損失それは、その未来を閉ざす重大な問題ではある。

「失敗した」と言う結果が出ているにもかかわらず、それを不問にする所には、深刻な邪が育ってしまう。

「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。

猫が転ばした花瓶の値段は20万円くらいです、としても。

 

「あれ、そんなに悪い映画でもなかっただろう?更迭まではやりすぎじゃ」

「そうだね、それで20億円とかの損失が無ければな。あなたが補填してくれるかい?」

良くも悪くも今まで、創作業界で”これ”を罰する術が無かった、というのはまあ、深刻に重い。現状のシステムでは、巨大な損失は発生しにくく成っている…少なくとも「神の要求」に応じたのなら、責任は神に向けていい。オーダーとは”そう言う物”で有る必要があり、その時、現場はただ、”それ”を具現化する為に努力するのみ、だ。そこに作家性?ともかく「自分がやりたい事」それは、最終的には存在しない。

それでも、高速道路を逆走する様な真似は、出来ない事は無いのだ。

特に、今の「会社」と言うシステム上、責任は管理不行き届きの社長の方へ廻ってくるが。その際に「現場が勝手にやってました」は逆に、現場に責任を要求する事にはなる、電子回路で言えばそのチップは期待される応答をしなくなってる状態、だ。古い話だ、感覚は常にそう言う感じには成る。現場を人間扱いしてないにしても、逆に現場に責任を持たせないなら現場は、上の要求にただ応じる事しか出来ない。

今回の、トヨタ系列企業の一連の不祥事は、果たして何処から始まった物か、かなり深刻な事態には成ってきた。

最終的には今、創作でも”これ”が有りえる状況ではある。そしてその結果で数十億円の損失が出た時、果たして責任は何処に?だ。今までは、何だか博打でしか無かった。現場が発狂してた、というくらいの失敗作が量産されてきた経緯があり、その損失を”何処か”が被ってきた事態はあって。上の方にしてみたら、現場とは大飯喰らいの役立たずの群れ、ではある。同人、という環境もまた、そんな事態に拍車を掛けて、ニコニコ動画は今も、赤字から脱却できていない。

「会社」と言う構造の問題でもあるのだが、しかし倫理観、「稼がなければ暮らせないだろう?」が通らない事態だった、というのもまた、かなり深刻さのあった、平成と言う時代ではあって。

今後、この辺がどうなるか?ではある。ゲーム的なシチュエーションの問題もあったろうか。「スペースインベーダー」本来の意味は、「無意味な事をさせてしまった」自責の念が足場かもしれず。しかしゲームは不意にか、「頑張れば出来る」そんな虚無を言い出す事にも成ってしまった、それは或いはある。満腹中枢を壊された猫の様にか、ただ喰い続けて動けない程太っていく、そんな様に、世界は陥っていた可能性も。

東芝も、ほぼ青色吐息、みたいな話もあって。

年末に成って突然にか、絶望感のある事態には成ってきた、そんな状況ではある訳だが。

ダイハツの社長に、「彼なりに頑張ってただろう?」とか、今言うべきか否か、ではある。

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