日本には現状、いわゆる「引きこもり」と言う形態が150万人は居る、そうな。
単純に言えば、それはそのまま「無職」その状態だ、と言っていいのでは。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。
ともかく家に居れば、食事には困らないってのはあって。
以前に、「ラビリンスボーダー」と言うゲームと、その運用形態を考えた事が、ある。各市町村に1つずつ制作チームを作り、その地域に根差した「ゲーム」を制作してもらい、広告収入とゲームで使用するカードの販売利益で運営しよう、という奴。うまく行けば?1チーム20人態勢で、1500チーム位を確保し得る可能性はあり、つまり創作者としては、約3万人前後の雇用が発生する事に成る訳だが。
「引きこもり」は150万人も居る、そうな。
不意に、「焼け石に水」そんな言葉が浮かぶ瞬間ではある。
商業創作の目的は、まず「お金を創る事」ではある訳だが。購入者がその5000円の商品を購入して、「損をした」と思わなければ、その商品は5000円の値打ちを持って存在している事になる。しかもその原価が100円程度?という娯楽創作は、シンプルに原価との差額4900円をそこに「発生」させた、と言って良い訳だ。お金は自然減する、が。それでもこういう事例が有る、という事は。人間は意識的にお金を「増やす」事が可能だ、そう言う事ではある、訳で。普通の産業では、利益幅は此処まで広く取れない。創作領域の発展はそのまま、経済的な発展に繋がっている、そう言って良いのだけど。
なんか、微妙に上手く行っていない。今も結局、売れるのはガンプラ程度だ。という事は、市場へと供給されるお金の額は限度がある、という事ではあり。毎月売り上げが下がっていく時、「頑張る」方法論は結局はコストカット、くらいしかない現実は深刻になっていく。
5人雇っていたけど、一人辞めてもらいたい。
彼はその後、引きこもりに陥ってしまった。
個人的な想定では、「引きこもり」は結局は、無職の別名でしかない訳で。問題視された頃から今に至るまで、この辺に微妙に改善が無い、訳だ。雇用できる人の数が増えてない。当然ではある、自由市場の原理は低価格競争に陥り利益性を失っていくのが常だ。”それ”を推奨かしている限りは、雇用はどんどん消えていく、のが常にはなる。
或いは、ブラック企業、「仕事内容に比して給与が低い」そう言う職場を増やす事には成る。
欲しい人材は、「お金の為に身を削ってくれる人」ではある。身を粉にして働く、を遂行してくれる人、だ、結果で病気に成ろうが心身を喪失しようが構わない、仕事に対して熱意が有る人。その末端に居るのが「娼婦」ではあり・・・ある意味でそこは、”大事”にされてしまったかの経緯はある。ただもちろん、最終的には呪いを残していく事には成る訳だが。
打開は、理屈では簡単だ、単に「売れる創作」それが増えれば失業者は減る。売春などをする必要性も無くなる。昔はテレビは、或いは映画はそのフラグシップとして機能していた。気持ちだけは少なくとも、貧困を感じる事は無かった、が。
今もなお、理不尽を感じる壁の様な物は、前にある。