自分の状況が作為的な物か、それとも自身の設定した”神”の意向によるモノか?は謎ではある。
ともかく、ほぼ確実に独裁創作に拘る末路は良くてゴッホである、というのはリアリティな感じ。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。
この中身がおっさんだったりするのが現状の深刻な混沌ではあるのだが。
ちょっと、小噺?は考えた。
「美プラ売りのオタク」
そのオタクは、市販の美プラ(プラモデルとして創られた美少女フィギュア、フレームアームズとかメガミデバイスとか)を組み立て、そこに独自の?デザインを盛り込み「オリジナルの美プラ」として、それをネットオークションに出していた。いくつも作るが反応は何故かか、芳しくなく…一つも売れない日々が続いた。傷心の彼は、不意にかその一つをいわゆるおかずにして成年男子の夜の定例を始めるが、不意に気づくと”それ”を見てる奇妙な姿の女性に気づいた。それは自身が今、ネタにしようとしている美プラの精霊だという。作者の願いにはせ参じたという”それ”はあなたに好意的な視線を向け、そして。十二分にベッドの上で、適齢ならしていても良い筈の”それ”を堪能した後、その美プラの精霊は消えて?いた。貴方は再び別の、そして同じ事が起き、イマジネーションは刺激され様々な。次の日、知人かがそのオタクの部屋を訪ねると、オタクはベッドの上で幸せそうにしかし、冷たくなっていたという。
現状の、「独裁創作の末路」として、結構リアリティが有るのが問題ではある。
「なんで売れないのか?」に関しては、イメージで「売れる訳ないだろ」では、あるのだが。まず劣化コピーでさえないモノが他者に必要か?というと、深刻に疑問である。問題になるのは”そこ”に至る精神状態であって、その原理は何処?に対して追及は意味はある、のだけど。ともかく”そこ”に対して執着する時、それは何かに否定され逃げ込んでいる、そう考えた方が解りやすくはある、が。
ともかく地元でか、散弾銃乱射事件が有った今、こういう話題はちょっと深刻さを孕んでる気は、する。
長野県中野市で起きた”その”事件の裏側として、「後継者かに無理を要求してた」と言う雰囲気は想像は、した。結構”これ”はその後、幾つかの事例にも合致していく理解ではある、訳だが。”この”場合のそれは、創作者の執着だったりする、可能性は結構ありそう。「俺の好き勝手に描かせろ!」は、古くからの定番でさえありそして、その先の失望もまた、定例の結末ではある訳で。”そう言うの”の無理解?というか次世代への願い、それが、何処かに集中しちゃう時、そこに「そう言う物」として発露しちゃうのでは?それが今の想定ではある訳だが。
その次世代がしてる事は、「自分の要求」その帰結、ではある訳だ。
そして、その行きどまりで後継者が奈落に落ちていく先で、破綻か恐慌が発生する。
中野市のそれは、「農業での自立」を要求された後継者の末路、だと思うのだが。この辺も今も、「なんで?」なんでダメなんだ?は、残ってる感じは、ある。今の自由市場経済の中で、農作物は過剰生産と価格下落に苛まれる事に成る。この構造を変える事が出来ない時、農作物は特に支援無くして存続は無理だ、昔とは状況が変わっている。しかしそれを、歴史か思想は同意しないし、或いは自身の足場でさえあるのだ。「その先はもうない」とか、そのまま認める事は出来ない、それは理解し得るのだけども。
・・・その視点では、”そこ”に見るべきは後継者の「自分には無理です」その声なき声、かもしれない訳だが。
正直、平成の「作家」で、先生と呼べる人はどのくらいいるのか?は、少し想う。その中で庵野秀明氏は正直者と言うべきだろうか。「僕は枝葉の人間です」言い切ってしまっているのなら、それ以上は要求し得ない。ただ、人間そこまで実利を追える訳でもない、プライドの壁は、自身の虚構をこそ真実とする、訳だが。
そういう事なら。問題視すべきはその、美プラを創ってるオタクではなく、それに対して強い影響力を持つ存在、には成る訳だけど。
…そこは、混沌ではある。