見出し画像

あげちうのブロマガ

私が魔王だと言う労働者

貴方がやりたい事をしようとすると、そこに誰かいる。

「ここは私の土地だ、勝手な事はしないでくれ」それで、追い出される。


この一面だけなら「当り前」だが、現実には”これ”は、形而上と言うべき?ともかく創作の領域でも、もちろん発生する。そう言う感覚の最後に、「王の権威」そう言う存在が居る…良くも悪くも”全て”の所有者、というニュアンスの”それ”だ、それを前に、そこで神判がある。

実際には、今の理解かもしれないが、ともかく「紛争解決機構」それが、最後に求める「人間としての意見」そのサンプルでしかない、という気はする。ともかく”それ”を失うと、人は最後、「人を殺して何故問題になるのか?」それを判断出来なくなる。居る場合は簡単だ。

私の家族を害するつもりなら、消えて貰うしかないぞ?

シンプルだ。


居ない場合の返答は、ほぼ人間には理解し難いか、返答を聞いたにしろ「数値では貴方が負けているから」その位が精々で…まあ確かに、”それ”で貴方の夢は破壊されました、では、納得し難い部分はある。「大賀さん」紛争解決機構、”その”存在と意義を理解して貰えば、そこは誰か居る必要は無いのでは?という理解は、でも意外と裏切られる、戦争は実際に起きてしまった。

起きた理由について、それは幾らでも返答は出来るが。

”それ”への不満は、或いは世界規模に膨らんでいる、気もしないでも、無い。

意識的には自分は、むしろ安定?している位では、ある。自身の中での「大賀さんの決定」それは、かなり明確に意識できる?状況ではある、意味の理解は出来なくても。”それ”は、自身の意思?として、毎日か、戦闘結果を固定していく。その意味は解らない、昨日の結果と今日のそれと、何か違いは有るのか、それはマクロで見た場合のそれでしかない、それを論じても意味は無い、ともかくそこに確定は、「大賀さん」その意思は発露はしていく。疑問は、その返答それで、今の所は間に合っている。

そう言う中で、微妙に不意に、「魔王」その存在への必要性、”それ”は意識したりもする訳だが。

”それ”が、解りやすい否定をしないと、それは止まらないのだ。

今まで感じていた「脅威」に代わって、昭和的な「恐怖」そう言うのが、支配した方が、状況は安定する、という視点はある…少なくとも”それ”が居る時、女性が借金を抱えて売られ、何十人もの相手をさせられた末に殺される、様な話は否定される、らしい。今の所、失うのは「責任」だけだ、”それ”が出来る権限、それをどんどん失って行く。次第次第に、会社の中の派閥争いの如く、準じた奴は前に出て、反した奴は損失と共に下がっていく、それに社会全体が飲み込まれて行く、訳だ。その「魔王」が住む「最下層の生活」を、健全な状態に維持する為に、そして実効性として有効な政策を行った奴が、その時前に出ていく。

魔王その物が、犠牲者じゃ無いのか?

それは、最後に少し思うが。


使用イメージ
https://seiga.nicovideo.jp/seiga/im8013511
https://publicdomainq.net/hiroshi-yoshida-0034509/

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事