あげちうのブロマガ

社会と言う視線は何を見てる

現状の理解では、「広告代理店」それが、どうしても悪役になっていく感覚は、どうもある。

ただ根っこは、或いは「マフィア」そう言う存在の理由にさえ通じていく、それも現実かもしれない。

 

「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」それは、個人的には良作、ではあるのだが。ただそこに描かれているモノをどう見るか?は、この事態にちょっと剣呑を呼んでくる、感覚はする。「広告代理店」それが、劇中の「鉄華団」それに相当するのでは有るまいか?だ。そして、それである限り、末路もまた、この作品の結末にしかならない、例えそこにガンダムが有っても、だ。

彼らはクーデリア、というヒロインを離れ、マクギリスの野心を選択し。そして自滅していく事になった。

何が問題だった?というと、鉄華団には「大儀」もっとローレベルで言えば社会貢献性、そう言うのが無かった。あくまでも自身らの自衛のみに意識が集中していた結果、その作中では選択を間違えていく事には、成る。ただ?なら彼らが劇中で大義を語り出せば良いのか?というと、その可能性それはちょっと、低そう。そして、その感覚が「広告代理店」それにも通じていく…そんな感じは、する。

マクロで言う「大儀」何を目的に?それが、「同胞を護る」そのくらいしか、無い。

個人的な視点では、「ヤクザは衰退したが広告代理店は隆盛した」訳だ、実は同じく社会的な排斥の先に出来た組織と、その差と言うか。前者は見れば解るが、後者は解らない。また前者は暴力で自身らを護るが、後者は情報で護る、そう言う差はあるのかも。どっちにしろ、社会的なシステムに「切り捨て」が有る時、彼らの存在はどうしてもついて回る。”それ”とどう付き合うか?が、時の施政者?その第一の手腕になる、訳だが。

「社会的な切り捨ては出ない」としたら?彼らはどうなるのか?ではある。

何かの恐慌はあるのかもしれない。インターネットの登場は、「広告代理店」その市場を圧迫しつつある、そう言うのはある、のかも。解りやすくは「テレビの放送権の価値」その低下として、だ。”それ”が切り捨てであるのなら?それは「カウンタ制御」或いはそう言う形でか発露し、彼らの武器にさえなる、のだが。「全ての存在に対して条件は一緒」と言う時、それは単純に「不正」と言う事になり、単純には利益性の低下、それに繋がっていく…というのが「道理」では、ある。

その道理の中で、彼らの状況は窮乏しつつある…可能性としては。

あくまでも彼らが、「自身らを護る」と言うそこに固執する時、その先にあるのは鉄華団の結末、それではある。放送権が或いは「オークション制度」に成ったら?今までの様に「ここは我々のシマだ」と言う扱いは出来ない事になる。今までは何かの特権があったのだ、それが消える事になったら彼らは生存の拠り所を失う事に成りかねない。そして平等という道理は、理解としてはそれにどんどん近づいていこうと、する。

鉄華団はクーデリアから離れるべきでは無かった、とは言うが。

”現実”は果たしてどうなのだろう?それは、流石にちょっと解らない。

物語展開として、彼らがマクギリスよりクーデリアを選ぶとしたら、クーデリアは、火星は再び、或いはギャラルホルンとの抗争に発展していった、かもしれない訳で。その時、鉄華団と火星勢力だけで、ギャラルホルンという世界を覆う軍隊に立ち向かえたか?そこはまあ、物語の謎ではあるのだが。あくまでも物語である限り、これについてはそれ以上言えない、そう言うモノではあり。

彼らの大義は、果たしてどこに有るのだろう。

もちろん「家族を護る」事が、世界の邪悪を倒す理由にもなるのだが。

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