「信仰」と言うのは何を起点に始まるモノ、だろうか。救済?意図はともかく。
今も現場を支配するかの「信仰」それは、融資側には大いなる障壁ではある。
※「pixAI」にて、タイトルをプロンプトに入力して出力。
雨降って?しかし空は晴れていても地面はまだぬかるんでいる
状況的に、自分が考える話では無いのだが。しかし「M式特殊融資」を考案したのは自分ではあり。その或いは、現在進行形での、ともかく今の状況では「想定としての」答えは出てない事例、ではある。
ある作家が、M式特殊融資に対してゲームの企画を持ち込んだ。しかし、その時点では製作会社とキャラクターしか設定されておらず、「プロットは?」その問いに対して返答は無かった。そのままではアートスケールでの評価も出来ない為、ともかく話し合いの末?融資側から提案したプロットで相手は合意したので、「完成後に融資」の、証書は発行された、が。
数か月後に打診がある。「プロット通りに造らなかったが融資は受けられるか」それは、当然ダメだ、という話に成ったが、相手は何だか食い下がってくる様な?そんな状態でしばらく、問題にはなる、が。
この場合、幸いと言うか…その作家の内輪が助け舟を出してくれて?作家から職務を引き継いで契約したプロット通りに補正する、という話になる。問題はそれで一応解決、という事にはなるが。
作家の評価は、内部的には地に落ちてしまった。
「誰が悪いの?」と言う、一応このルール上では、その作家側に責任がある、とは思うのだが。リアルなのか否か、作家の反発?それは、今も残ったまま、な印象はある。現場で無ければ解らない話か、作家側のその固執は、平成でもかなり気に成った部分、だ。現場が、出資側の要求する作品を創らない。作れないのか創らないのか、判断が出来ないまま、売れない作品が量産された、経緯はあり平成の市場は冷え切った、訳だが。それは今も、微妙に残って居る、という事にはなる。
一応、自分の把握では「M式特殊融資」内部的な?”それ”で実際には、「ガンダムSEEDフリーダム」それも創られた、”筈”ではある。今もってなお、この辺の話は妄想とか陰謀論に近い扱いではあり、確固とした部分とふわふわした所が共存してる有様だが、ともかく今の評価基準では、アートスケールそれは、かなり明確な「完成予想図」は出してくれる。そこで高いスコアが出るなら?その後の成功もある程度は約束されるだからこその「初期の企画書通りに造ったら融資する」M式特殊融資、が意味を持つ訳だが。今までの業界にはこの物差しが無かった、「事件は現場で起こっているんだ!」が大手を振ってしまった、故に。作家側で融資側を騙せれば、お金は出てしまったし。色々あって、彼らは次にさえチャレンジ出来たのだが。
なんで?
一般論だと思う、まったく謎の理屈がここには働いていて、そして今も、彼ら?はそれが通せると思っているし、そこを通すのをある種のプライドにさえしている、のかもしれない。
それは犯罪じゃないのか。
しかし、カウンタ制御が問題視されない時、彼らの”それ”は何かのテクニックに過ぎない訳で。
融資関係は、大分抑え込んだ、感じはある。誰だって損失が約束された様な企画に出資は出来ない。映画クラスはほぼ、この「M式特殊融資」それを通さないと出資は無い、と言っても良いくらいだ、はまあ…ちょっと誇張だろうか。しかし自分も作品は書く人間ではある、「創りたい事が」そう言うのは解るつもりではあるのだが。同時に「億というお金」が結構高額である、という把握も今は、ある。実感的に成功もしているから、だろうか。「アートスケールを通せない様な作品に存在意義は無い」ゴミと同じだ、聞き方によってはそのくらいの事は言っているのだろうか。
今、多くの現場?から上がる企画それは、どうもアートスケールでの評価が出来ない、感じが有る。
「何を創ろうとしているのか?」さえ、現場は把握していない、恐れさえある。とにかく融資側から金を引き出せてしまえば内容は問わない、それしか問題にしていない感じ、だ。そして?”企画する部分に”そんな人々が犇めいてしまった、訳だ、具体例の一人があの「チー牛喰ってそう」の名越氏ではある訳だが。しかしこれも混沌だ、本来「チー牛喰ってそう」な人物像は、その時「ユーザー側だった」屈辱的な言葉を名越氏から受けた被害者だった、のだが。後の世論?みたいなものは、そのチー牛を徹底的に「人間の屑」的な評価に貶めている。
平成とは、一体何だったのだろう。
ともかく今も、戦争は続いている。