福島汚染水の海洋放出が、24日にも開始される、という話。
個人的には安堵する所だが、ただ否定感は相変わらず、ではあるようだ。
現状の「汚染水」への否定感は、感覚論ではほぼ「北朝鮮が発射する人工衛星」それへの警戒感ではある。”それ”が本当に単なる人工衛星でも、北朝鮮が打ち上げるだけで「駄目」だ。結果論でこの場合、その「北朝鮮」に相当するのが日本政府、というのが深刻さ、ではある訳だが。「政府の言う事なんか信用出来るか!」それは何処の声なのか、それはちょっと根深い話。
ともかく現状の処理水は、飲んでも影響はない、程度の水である、事は実証されては?いる。実際に飲んだ方もいるらしい、その人がその後に特に健康被害には成ってない(だろう)それは重要な情報ではある。疑い出せばキリがない、が。そう言う視点では政府憎し!になって自身らの損失を加速している、という本末転倒さは、少し自覚するべきだろう、それは思った。
ともかくそれまでにも、ああいう事故を起こすくらいにか、政府が信用を失っている…それは言える訳だが。
根っこで言えば、現状は「最善」ではある・・・火力発電の代替としては、だ。原子力発電は小さな?設備で大きな発電力が得られる上に、燃料も火力よりは備蓄しやすく長期間使用できる。ともかく永久機関それでもない限り、今の太陽光はまだ信用出来る様な出力は無く、水力も不安定で、EV時代とか?需要は増加していく一方、何処かで事態を変えないと、というのはある訳だが。実際には原子力電池とか、まあ代替にしても良いネタはいっぱいあるという話もあるけど、「という訳で魚は全部、養殖で済むのでもう漁業の必要はありません」そんな話に成って言ったら、漁師の人々は何を言い出すだろうか、ではある。
海洋放出、その決定が、果たして文化の方向性、そう言うののターニングポイントに成ればいいが、それはちょっと思う。今までの「発展」と言うのが、ほぼ自傷行為に近いモノだった、という認識に成れるか否か、”それ”とこれと、なんか差はあるだろうか?ではある。理屈の上では、今の処理水は「単に水道から流れてる水」とほぼ等価、である。単に「原発の汚染水をろ過して処理したモノ」と言う、それだけだ。議論の視点では、”これ”を海に捨てる捨てない、そんな話をすること自身がナンセンスだ、が。一度ついた「イメージ」と言う物は、そうそう変わらない、というのも現状だろうか。
北朝鮮も、国家である。