前のブログの続きです。
次は、靖国神社についてです。
東京に旅行に来る中国人はたいてい靖国神社を訪れたがるそうです。
それは中国で政治的に戦争犯罪者を祭る悪の祭壇と喧伝されていることから、純粋に好奇心で一度見学してみたいということだが実際に靖国神社を訪れた知り合いの中国人が見学のあとで、むしろ好意的で神妙な感想を漏らす人が多い。
ある中国の著名作家が靖国神社を訪れたあとで、「これは日本人の死生観を本当によく表している。戦死した一兵士までこれほど丁寧に祭られている。こんな素晴らしい慰霊施設は、中国にはない。中国人は靖国神社を誤解している。私はこういう自分の考えを中国で発表したい。」
中国で靖国神社肯定論を言えば、売国奴とのバッシングどころではすまないみたいで、もちろん友人たちは全員「靖国神社に行ったことは絶対公の場で言うな」と釘をさしたそうです。
こう言ってくださる方もいて良かったです😃
この作家の感想は極端だとしても、たいていの靖国神社を見学した中国人は「中国人としてはとうてい受け入れることはできないが」「政府関係者が参拝することには反対だが」という前置きをつけて「日本人の慰霊というものがよくわかった」「異国の大災害に巻き込まれた他人の死ですら厳粛に受け止める日本人だもの、自国の兵士の慰霊に拘るのはわかる」など肯定的なものだったそうです。
私が想像していたよりもいい意見だったので意外でした。
最後は、人権についてです。
普段人権擁護を高らかに叫ぶ人たちは、日本の保守批判、米国批判はできるのだが中国批判ができない。
戦後自虐史観の中で教育を受けた彼らは日本は加害国であり中国は被害国であったという歴史認識を持ち、中国批判自体に後ろめたさを感じるものと思われる。
しかもウイグルやチベットの独立派が主張するような中国の脅威を認めると、沖縄米軍基地の問題や彼らの嫌う保守派の憲法9条改正論を批判しにくくなると書いていました。
この本は2015年の本ですが、今も当てはまることなのではないかなと思いました。
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