Eri's blog

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皇室について 3

2021-04-30 09:19:00 | 日記
日本の皇室は庶民から嫁ぐ場合はいくらでもありましたが、父方による一系で皇位を受け継ぐかたちによって、皇族と庶民の違いが明確化してきたという歴史的経緯があります。
これまで父方の一系で皇統をつないできた日本が、いきなり女系を認めてきた西洋王室ですら未知の世界に突入しようとしている皇位継承方法を導入しようとしているのですから、本当にこれからどうなるかわからないのが現実です。

現在の日本人全員は、万世一系で受け継がれた皇室しか経験したことがありませんから、その経験を前提に論じているという事実を忘れてはなりません。

未来のことはどうなっているかわからない、だから人間の頭だけでつくる世の中は不安定となるのであって、時代をまたがって続いてきた伝統をベースにものごとを考えていく必要があるのです。
経験もできない未来のことを、頭の中で設計するかのごとく大丈夫だと言い切ることは、非常に危ういのではないかと書いていました。

女性宮家、女系天皇論は現代人による目先のことだけしか見ていない近視眼的な浅知恵となります。

この本にも書いていましたが現代の日本人は今、問われていると思います。目先の感情論に流された近代合理主義的な判断をしてしまうか、歴史・伝統をふまえた判断をすることができるか、まさに現代人の真価が試されているのです。
現代人のあさはかな理性よりも絶対にぶれず、時間に耐え抜いてきた2000年以上の歴史・伝統から、これからの方法を発見していくべきではないでしょうかと書いていました。

日本の良いところ、伝統や文化などが壊されてきているなと感じることが多いですし、政治の動きも怪しいところが多いので、注視していきたいと思います。



皇室について 2

2021-04-29 09:31:00 | 日記
皇室についての続きです。

皇統は男性を優遇しているわけではなく、むしろ男性を排除しているそうです。

一般人女性は結婚によって皇族となって、皇統に子孫を残すことができますが、一般人男性は何があっても絶対に皇族になることはできません。

歴史上の皇統は、徹底して男性は男性を排除してきたのです。

それは外部から男性を皇室に入れると政治的思惑などが絡み、皇室が乱れるという意図もあったものと考えられるそうです。

最後の言葉は現状を見ると、本当にその通りだなと思える言葉でした😅


天孫ニニギが地上に降り立ち、そのひ孫にあたる神武天皇が橿原の宮で即位されました。
これが日本のはじまりです。
日本というのは地名ではなく、土地の名前をあえていうなら、イザナキとイザナミによって生まれた大八洲国になると思いますと書いていました。

天照大神の神勅により、天孫ニニギノミコトが地上に降臨され、そのひ孫にあたる神武天皇によりつくられた国、代々天皇が治らす国をのちに日本と名付けられることになったのです。
つまり日本というのはいわゆる王朝の名前であり、国体の名前となります。

神武天皇の即位から日本の歴史がはじまり、皇室の歴史はイコール日本の歴史となります。
「皇室の歴史は日本の歴史、日本の歴史は皇室の歴史」という、このような歴史形態は世界でも日本だけであり、それが国体、くにのかたちです。

日本の場合は天皇があって日本があると考えるので天皇のいない日本は、もはや日本と呼ぶことはできません。
枠組みだけが残っても、それは日本とはいえないのです。
なぜなら日本とは代々天皇の治らす国だからです。

皇位継承に関連することであれば、旧宮家の方々に皇室にお戻りいただいて、まだ慣れない間については一般人とご結婚されて、皇籍を離脱された女性皇族方にも、ご公務をお手伝いいただけるようなかたちにすれば、当面の問題はすべて解決することができるのです。

少なくとも女性皇族方に、皇籍離脱後もご公務をお手伝いいただける環境整備をつくればいいのであって、歴史・伝統にまったく存在しない女性宮家など創設する必要性はないのです。


皇室について

2021-04-28 15:33:00 | 日記
最近、皇室についていろいろと話題になっているので図書館で本を借りて勉強しました。

天皇は2000年以上、第1代神武天皇から第125代今上天皇まで男系により継承されています。
男系というのは父方の血統で継承することです。
ですから天皇の父の父をずっとさかのぼれば、1本の線で初代神武天皇につながることをいいます。
女系というのは母の母をすっとさかのぼれば初代天皇につながるということですが、もちろんそんな血統は存在していません。
すなわち「男系による継承」か、もしくは「男系でも女系でもない継承」のどちらかだけが存在することになりまして昨今、「皇位の継承は女系を容認してもいいのではないか」という主張は厳密には女系ではなく、男系でも女系でもない、何でもない継承ということになるそうです。

よく男系と女系の話になると性別の問題と混同されることがあるそうですが、男系による継承か、男系ではない継承しかありませんから、性別とは関係がないそうです。

男系による継承のなかでも男性と女性の天皇は両立するし、男系ではない継承でも男性も女性も跡を継ぐことができるのです。

もし愛子さまがご即位された場合なら、男系の女性天皇になります。

過去に8人の女性天皇がおられましたが、その方々は全員男系の女性となります。
推古天皇、皇極天皇(斉明天皇)、持統天皇、元明天皇、元正天皇、孝謙天皇(称徳天皇)、明正天皇、後桜町天皇です。
この8人に共通するのは、全員が独身だったということです。
具体的には天皇の未亡人か、生涯独身のどちらかとなります。
在位期間中及びそれ以後は独身であったということです。

推古天皇、皇極天皇、持統天皇は天皇であった夫が崩御されてからの即位です。
元正天皇、孝謙天皇、明正天皇、後桜町天皇は生涯独身でした。
明正天皇にいたっては7歳で即位して21歳で譲位されたあと、74歳で崩御されるまで独身でした。

女性天皇に独身の原則があったのは、母方のみの血統を残さない意図があったものと考えられます。

女性天皇は男系男子の天皇から次の男系男子の天皇に皇位をつなぐ、皇統の中継ぎとしての役割を担っていたそうです。

男系による皇位の継承は薄氷を踏むように続けられましたが、その不安定さからむしろ権威と権力の分離が実現でき、結果的に2000年以上という長期の安定性を維持することが可能となったのです。ですから目先の合理的な判断にとらわれず、2000年以上継続したという実績こそが何よりの安全性であるのだから、今後、1000年単位で皇室の弥栄を考えるのであれば、長期的な視点から判断していかなければならないと書いていました。



靖国神社 4

2021-04-27 09:11:00 | 日記
「靖国神社」の続きです。

次の安倍首相は小泉内閣の官房副長官時代に小泉首相の靖国神社参拝の実現に向けて尽力したことは、そのことに裏面で関わった1人で本人は参拝する決意であったことは間違いありませんが、対中・対韓外交に配慮して延引しているうちに体調を崩し、俄かに退陣したことで参拝するに至らずに終わったことは残念なことでしたと書いていました。

次の福田康夫首相は、いわゆるチャイナスクールの有力なメンバーでしたから、あまり期待はしませんでしたが案の定、首相就任早々に靖国神社には参拝しないと発言し、安倍首相が再開した真榊の奉納も見送り、その次の麻生太郎首相は真榊奉納は実施したものの、参拝には及びませんでした。

東大の教授は小泉内閣の官房長官として首相の終戦記念日当日の靖国参拝を阻止しようと画策し、結局2日の前倒しに成功した張本人と目されていた人物ですから、これはもう本当に論外ですと書いていました。
この人のことは問題の解決と結びつけて考えるどころか、1箇の障礙物としか見ていませんでしたと書いていました。


そして、民主党政権になってからの体たらくはご存知の通りですと書いていました。

鳩山由紀夫・菅直人両首相とも参拝する気は全くない上に、鳩山首相に至っては靖国神社に代替する国立戦没者追悼施設を建設するという構想を公にして、靖国神社を戦没者追悼の中心施設と考える多くの国民から反撥を受けました。

東大の教授は鳩山さんについて、是亦端的に論外という他ない悪質な政治家です。
その悪質なる所以は改めて指摘するまでもない、天下周知の事実ですからあえて触れることを致しませんが、靖国神社問題に限定して一言申しますならば、取るに足りない微々たる鳩山個人よりも民主党という亡国政党の一味が問題解決への障礙の最たるものなのですと書いていました。

菅さんは是亦不適格という点では前任者に劣らぬ悪質な代物で、東日本大震災への対応で露呈したこの人の無能・低劣ぶりには、ジャーナリズムの歴史の上でも一寸考えられないほどの罵詈と呪咀が浴せられました。
閣僚の靖国神社参拝の問題では、まさに中共の代弁者そのものになり果せて、自分から禁止を明言する始末ですと書いていました。

翻訳してみれば同じ名と映るアメリカ合衆国の民主党も、実体を言えば左翼的リベラルの徒の集団である様ですが、我が日本の民主党は実はそれよりも更に質の悪い、私利私欲、党利党略のみにうつつを抜かす利権亡者共の烏合の衆なのです。
靖国神社に対する冒瀆の挙というより他ない、無宗教の国立戦没者追悼施設の建設なども、この党の政権掌握が長引けば、本気で法案化を画策するかもしれません。
実に危ないことですと書いていました。

メディアが論じている、あるいは中国や韓国が参拝に反対する理由としてしつこく挙げていることを、あたかも当時から戦犯の合祀はよろしくないとか、問題だと言われてきたかのように錯覚をしていることに気づいてほしいと書いていました。

長く複雑な経緯をたどってきた靖国神社問題は、常にその時代時代の人々の思いや心情に即して考えることが大切で、決して現在の感情や価値観で裁いてはならない。
これが本来あるべき、まっとうな歴史認識なのですからと書いていました。

この本を読んで、東京に行く機会があるときは靖国神社に参拝したいなと思いました。



靖国神社 3

2021-04-26 09:41:00 | 日記
「靖国神社」の続きです。

A級戦犯と言われる言葉、よく言われる東京裁判史観、これは何としても払拭しなければならない問題で、ここに現在の靖国神社の問題点があるそうです。

本当の日本人なら、既にこれだけ色々な資料が戦後発掘され発表されているので当然、自分で考えればわかるはずですが、相変わらずそのことを押し通している人が多いそうです。

幸い、基本教育法だけは変えられました。
60年も憲法と同時にほったらかしになっていた教育基本法ですが、これを良い方へ変えたのは安倍前首相の功績だと思います。
しかし、まだ憲法改正への道は先が長いと書いていました。

GHQがチャンスがあれば廃止したい、閉鎖したいと思っていた靖国神社と護国神社が致命的な後遺症を残すことなく神社として存続できた1番の要因は、やはり遺族や生還できた戦友を中心とする当時の一般国民が、その存続に大きな熱意をもって努力したことです。
もう1つは、天皇陛下の靖国神社と護国神社に対する思いが強いものであったことです。

終戦直後の混乱で専門の方がいなかったため、靖国神社では神職が交代でやろうとしましたが、とても手が足りない。
そのお手伝いをするという趣旨で、各宮家の妃殿下十一方が浄書をなさったということが、社務日誌に書かれているそうです。
間違いなく昭和天皇の御心によるものと思われますと書いていました。


最後は歴代の首相についてです。

靖国神社の公式記録としては首相名で春秋の例大祭に真榊を奉納したのは、昭和30年4月の鳩山首相からとなっているそうです。

それまでの公的記録が見つかっていないとしても、昭和26年の吉田参拝が最初であることは間違いないと書いていました。

歴代首相の真榊奉納は昭和60年秋季例大祭に中曽根康弘首相が行ったのを最後として途絶えました。

平成19年の春の例大祭に安倍元首相が真榊を奉納したことが新聞で報じられたそうです。

小泉首相の靖国神社参拝は総裁選の公約に反して2日前倒しであったこと、それから中曽根首相と同様な一礼方式であったことなど、批判や問題点が指摘されました。

それでも5年の在任中に6回も参拝したという意味は大きいと書いていました。

自民党の単独政権ではなく、自公の連立政権でした。
公明党は、中国と近くその意向を体して靖国神社参拝に反対していました。

閣内には中国のメッセンジャーで、あからさまに参拝反対を主張する田中眞紀子外相がおり、党と内閣の要である山崎拓幹事長と福田康夫官房長官は慎重派であって、その上、中国や韓国、少なからぬ日本のメディア勢力が参拝に反対して、強固な包囲網を作っていました。