透明人間たちのひとりごと

『はだしのゲン』問題

 不条理な運命を呪わずに、前向きに生きる主人公の姿
を描いた 『はだしのゲン』 が過激な描写を理由に
「閉架措置」になったとの報道に …

 「おい。 『はだしのゲン』 が、学校の図書室から
締め出されたって本当なのか」

 (はだしの)ゲンと火垂るの墓』 を記事として
掲出したばかりの1号 さんが物凄い勢いで 2号 さん
に食って掛かります。

 島根県の松江市で勃発した『はだしのゲン』問題です。

 この問題が起こる一年前の昨年8月に 「子どもたちに
間違った歴史認識を植え付ける」 として一部市民による
学校図書館からの撤去を求める陳情が提出されていた
のですが、市議会は同年12月の本会議で、全会一致の
不採択を決めていました。

 ところが、今回の 「閉架措置」 について

 同市の教育委員会は 「歴史の問題ではなく、あくまでも
過激な描写が子どもにふさわしくないとの判断だ」 と説明
し、「平和教育の教材としての価値は高いと思うが、要請
を見直す考えはない」 と鼻息が荒いのです。

 顚末を振り返れば、最初は市民からの 「反日的」
歴史認識を理由とした撤去の要望でしたが、それは上記の
ように市議会で却下となりました。

 しかし、一部市民の度重なる申し入れに手をこまねいて
いるわけにもいかず、業を煮やした市教委があらためて、
残虐シーンや暴力描写などの問題として対応したわけで、
果たして、どこまでの表現に問題があると判断したのか 
それとも陳情のあった市民への対応が面倒(厄介な連中)
で、別件処置として 「閉架」 としたのか

 あるいは、もっと何か別の圧力が加わったのか

 いずれにしても市教委の判断論拠が問われそうです。

 『ゲンと火垂るの墓』 にも書かれていましたが、

exclamation http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/316.html(参照)

 『はだしのゲン』 は1973年から1974年にかけての
1年4ヵ月の間に 「週間少年ジャンプ」 で前半が掲載され、
後半部は1975年から1976年まで、「市民」 に、1977年から
1980年までは、「文化評論」 で、1982年から1987年までは、
教育評論」 にて掲載と …

 少年漫画雑誌での掲載スタート当初から、好意的な反響
が多数寄せられていたのですが、その重いテーマが敬遠
されて掲載中止となって以降の経緯は散々なものでした。

 その掲載の遍歴・変遷をみてもわかるように、そこには
偏見と誤解から生ずるイデオロギーの摩擦による苦難の
道程(みちのり)があったわけで、絶版に追い込まれること
なく、よくぞ今日まで持ちこたえたものだと思うのです。

 ボク がいつも思うのは、なぜ 『はだしのゲン』
をそのまま素直に読めないのか … という疑問です。

 平和が維持されている現代の日本でも日常生活を営む
なかで、キレイごとでは済まされない場面や事態に遭遇
することはままあります。

 ましてや、戦時中や終戦直後の混乱期に、人間のエゴが
むき出しとなった汚く醜い現実の数々、理不尽で不条理な
行為や行動といった心の闇や影が描かれているのは当然
のことです。

 そうしたなかで、ちょっとした政治的な臭いのするセリフや
イデオロギー色の強い発言があったとしても何らの不思議
もなく、むしろリアリティのある世界を描き出した作品として
評価されるべき内容だと思うのです。

 まあ、だからこそ、それが不都合だと感じている諸兄諸姉
がいらっしゃるのかもしれませんが …

 ボク には作者の中沢氏に特定の意図した思想信条が
あって、この作品を描いたとはどうしても思えないのです。

 政治家や有識者(インテリ知識人など)が語る薄っぺらで
表面的な平和論や型通りで教科書的な報道からは見えて
こない民衆だけが知りえる現実というものが、作品の魅力
となって読む人の心を惹きつけ、魂に訴えかけてくるのだと
思うからです。

 同じ作品を見ても、偏った思想を持つ人々はそれが右で
あれ左であれ、「反日的で誤った歴史認識を植えつける」
とか 「反米・反戦・反核や民主主義の敵」 とか言って毒づく
わけです。

 歴史を誤解させるような表現や描写があるとも、反日的や
反米的だとも、反戦・反核を訴える作品だとも思って読んだ
ことはありません。

 だだ、実体験した戦争のありのままの姿を描き出しただけ
のことなのです。

 それとも、ボク が感覚的に鈍いのでしょうか

 

 原爆は自然災害ではありません。 

 単なる運命で片付けられる軽い話題でもありません。 

 自然に起こったのではなく 「投下された」、意図的
「落された」 のです。

 いわずもがなのことですが、広島と長崎への原爆投下は
アメリカ軍による「無差別殺戮」以外のなにものでも
ないのです。

 戦争は狂気の世界です。 

 事の大小や数の多寡の違いこそあれ、アメリカ軍と同様
に日本軍も非情で残酷な殺戮を犯さないわけはなく、それ
を否定するのは欺瞞です。

 『はだしのゲン』 は良書でも悪書でもありません。

 「真実を伝える」 だけの漫画
それ以上でも、それ以下でもないのです。

 ところで、

 「もう、終わりにして続きを書かせろ」

 と、さっきから 1号 さんがうるさいのですが …

 今回の学校図書館での「閉架措置」 については

 どうしても一家言あるようなので、仕方がなく 続編
お願いすることになり、強制終了となりました。

 これこそが「狂気の世界」

 不条理なパワハラの現実なのですase

コメント一覧

はだかのケン
ちょこっと来るのが遅かったか!
裸足じゃなくて、裸のオオカミ中年です!
小心者の新人です
はじめてコメントします。
他のページは右や左に偏向した人たちの口喧嘩のような罵詈雑言のコメントに溢れているものが多く、読んでいて気分が悪くなります。
嘘八百の歴史を子どもの頭に叩き込もうとする「悪書」だとか、とんでもない物が日教組のキチガイ共により導入されていたとか…
反対に愛に飢えた右巻きは帰る場所がなく国家に帰属しないと生きられない、国家に自己投影するからパラノイアのように国に固執するとか、右の連中の被害妄想は想像を絶するばかりで狂人も敵わないとか…
これらはずっとおとなしい表現でもっともっと酷い言葉で罵倒するのです。
こちらのコメントは誰かを傷つけるものではないようなので書き込むことにしました。
新参者ですがよろしくお願いします。
餃子ライス
最初に撤去を要望した自営業の男はどう見てもプロの仕事師(右翼)で、とてもじゃないけど良心的な子供思いのシロウトさんには見えない。
そうした因縁が飯の種のオッサンだよ!
結局、閉架の判断は市教委の苦肉の策だったってわけ。
クライングフリーターマン
パワーで鬱憤を晴らす男のことを「パワーハラスメント」と言う… んな訳ないか!
「狂気は至るところに散在する」
それは、戦争時であれ、平和時であれ、人間が存在する限り存在する。
恩顧知心
残酷で過激な描写があるのは原爆や戦争を描いている以上あたりまえの表現です。
だからと言って、行き過ぎた規制はどうかと思うな。
子どもたちは嫌なものは無理して見ない。 トラウマを心配するのは過保護が趣味のモンスターペアレントの予備軍でしょう。
バカボンのパパのパパ
感覚的にも5号さんは鈍くはないのだ。
閲覧制限する対象物としての論拠が問題なのだ。
歴史認識の問題ではなく過激な描写としたことが曲者なのだ!
これだと、「子どもによっては大きな影響を受け、トラウマになる恐れがある」という意見に対する反証が難しいのだ。
おいら
これは閲覧禁止という措置じゃない、閲覧の制限でしょ。その程度の裁量すら認められない教育委員会なら存在価値はないと思うけど・・・
ココナン
急転直下の終わり方、まさに、パワハラ恐ろしや!

それにしても松江市の教育委員会の「閉架」の判断に妥当だと発言した菅官房長官にはチョッピリ残念、なかなかの人物だと評価していたのに…
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