透明人間たちのひとりごと

オオカミ少年の物語 <10>

 先だってのことです。

 ほぼ、完成の域に達していた当ブログの投稿予定記事が
ひょんなこと(ミスタッチ)から忽然として消えてしまいました。

 「逃がした魚は大きい」 との心理錯誤から落胆の度合い
は尋常ではなく暫(しばら)くは立ち直れないほどの落ち込み
ようでした。

 タカがブログの記事程度に、これほど落胆するのだから
家族や家や財産、夢や希望などのすべてを失った被災地の
方々の心情や如何に … と、察するに余りある思いです。

 元々、対岸の火事的な意味での野次馬根性や高みの
見物という心境にはなく、日本国全体としての属性のなかで
同様に被災したつもりでいたわけですけど、どこか他人事の
感がなくはなかったのかもしれないのです。

 その最たる人種が 政治家 という職業の人々でしょう。

 政権与党である 民主党 は被災地の人々を見殺しに
したままに、筆頭野党である 自民党 は国民の怒り
逆撫でしたままに、菅首相 は国民の気持ちを人質
したままに、いつまでも執拗に粘っている。

 東日本大震災の復旧・復興に関しても、福島第一原発の
事故収束の行方(ゆくえ)についても、遅々として進まない
ばかりか、人災 としての被害はさらに拡大して混沌
度合いを増幅させています。


 見事に消えてしまった記事には、その辺りの件(くだり)が
びっしりと綴られていたわけですが、愚にもつかないような
痴話ゲンカ的な政争への批判愚痴は、もういい加減
に止めにしましょう。

 書くだけで疲れますし、気が重くなってしまいます。

 「誰がやるか」 ではなく、「何をやるか」 でしょう eq

 だったら、誰が首相でもいいから、決めるべき 事柄
早く決めろexclamation2 と、そう叫びたいのです。


 そうこうしているうちに …

 国の暫定規制値(1kg当たり500ベクレル)を超える
放射性セシウムが製茶(一番茶)から検出されたとして、
私たち静岡県民も健康に及ぼす放射線被害と風評による
経済的な被害を被ることになるかもしれないという不安に
苛(さいな)まれることになりました。

 数字だけが勝手に独り歩きするだけで実際には危険性の
ない、所謂(いわゆる)風評被害と実害を伴なう健康被害や
経済的な意味での実損害とを峻別する正確無比なる基準が
分からないのが現状であり、それが大問題なわけなのです。

 規制値の根拠も曖昧なうえに生茶よりも乾燥させた荒茶
の方が数倍以上の高い数値になることは小学生でも分かる
簡単な算数です。

 国民の一人ひとりが、少しだけ冷静になって判断すれば、
風評もなんてことはないはずなのですがねぇ …

 もちろん、一定の基準値や規制値といった数字は必要
ですが、それで安心したからといって必ずしも安全だとは
言えず、数字を超えたからといって危険で安心できないと
いうものでもなく、安全でないとは言い切れないわけです。

 安心安全 とは単に比例しないというだけではなく
まったくの別物で、安全 には絶対が存在しないのです。

 その意味からは、多くの基準値や規制値は 安心する
ための気休めにしかならない代物で、決して、安全
を担保したり保証したりするものではありません。

 イソップ『オオカミ少年』 の話で言えば、
(オオカミが村を襲ってきた)その日に、ほとんどすべての
村人たちは安心しきっていました。

 それまでの経緯から警戒に関する基準値も危険を阻止
するための規制値も相対的に大きくその数値が下がって
いたからです。

 以前より、ひとり、羊飼いの少年だけが、騒いでいたわけ
ですが、少年に対する何の規制(注意勧告)も行なわれず
にいたわけで、「オオカミが来た」 と叫ぶその声は、
危険を知らせるための基準値からはほど遠く少年に対する
規制値は論外なものになっていたのです。


 さて、『オオカミ少年の物語』 も、<1>~<10> と
その回数を重ねてまいりましたが、初回の <1> のなかでは、
『オオカミ少年』 の話は羊飼いの少年の嘘を戒める
内容ではなく、油断しがちな警戒心や希薄となりがちな避難
行動への喚起、あるいは緩慢ならざる訓練等の実践を常に
怠らないための 「警告の物語」 なのだと、まず以って
結論づけをしました。

 それと言うのも、

 「仮に地震や津波を予知して、警報を発したとしても、その
警報が何度も外れるか、実際に起こったとしても大したこと
のない程度の規模だったとすると誰も彼も信用しなくなるか
たとえ信じたとしても避難行動が希薄・緩慢となってしまう」

 つまり、これを称して 「狼少年現象」 として流布して
いるわけですが、その実体としての羊飼いの少年の信用が
なくなるのは、何度も何度も繰り返し<嘘>をついたこと
にあるというのが、世間一般での認識もしくは常識でしょう。

 一般的には退屈しのぎとして 「オオカミが来た」
<嘘>を言っては楽しんでいた挙句の結果(悲劇)であり
、地震や津波の警報が外れたり、予測よりも軽微であったと
いうことによる心の油断や避難の遅れからくる実質的な被害
とは次元(わけ)が違うのだと言うでしょう。

 しかしながら

 私的には、「故意に嘘をついているのではなく、たまたま
その事柄が実現せずに信用や信頼を失う」
場合を指して
いるのであって、たとえ 「真実だとしても信用を失い誰から
も信じてもらえなくなる」
ような現象を「狼少年現象」
と呼びたいのです。

 それがイソップの 意図 であり、「オオカミ少年」
真実 なのですから …。

 なぜならば、

 寓話作家イソップの立場になって少し考えてみましょう。

 「嘘をついてはいけません。  正直に暮らしましょう」

 「嘘をつくと酷(ひど)い目に遭いますよeq
というような

箴言や教訓ならば、『金の斧と銀の斧』 という話が
すでに用意されています。

 イソップには、それだけで十分なはずだと思います。

 それに、腑に落ちずに釈然としないままにクライマックスに
突入するこの物語にはいくつかの違和感が残ります。

 1 最後まで狼が来なければ、たしかに少年の嘘を諫める
  物語だったのかもしれません。

 2 嘘を戒め懲らしめるためならば、事前に一度や二度の
  注意があってもおかしくはないし、むしろ当然のこととして
  必要でしょう。

 3 狼が羊を襲うのは自然界では必然のことで、対応策と
  しての番犬(牧羊犬)の配備がないことが不思議です。

 4 少年の暮らす村はずれは、村に迫り来る危機をいち早く
  察知するための重要な場所にもかかわらず見張り番など
  の存在や大人の介入がないのは不自然です。

 5 少年のみならず村人たちの羊も食べられてしまう結末
  は懲罰的な意味合いよりも先入観によって人を信じない
  ことへの危険性を訴えているとする方がより自然です。

                      ―― 以上 ――

 いくつかの疑問点(違和感)を箇条書きにしてみましたが、
次回ではそれらを踏まえた上で、『オオカミ少年』
謎を推理・解剖する 『完結篇』 にしたいと思います。

 次回も引き続き、透明人間1号 が担当します。

 一瞬にして忽然と消えてしまった先刻来の記事の内容には
いささかの未練も残りますが、失った中身はもう二度と戻って
は来ないでしょう。

 新たに創っていくしか 方法 はないのです。

 symbol2kirakira2 政治家の先生方へのお願いです。

 誰がやるかではなく、何をやるのか、何を創っていくのかを
早く提示して欲しいのです。

 『イソップ物語』 のような珠玉のパブリックドメイン
(共有の知的財産)でなくてもいいから …

 ただ 一筋 でいいから … 被災地の皆さんに

 希望を光 を見せてください。

 どうか、宜しく お願いします clap
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