ほぼ、完成の域に達していた当ブログの投稿予定記事が
ひょんなこと(ミスタッチ)から忽然として消えてしまいました。
「逃がした魚は大きい」 との心理錯誤から落胆の度合い
は尋常ではなく暫(しばら)くは立ち直れないほどの落ち込み
ようでした。
タカがブログの記事程度に、これほど落胆するのだから
家族や家や財産、夢や希望などのすべてを失った被災地の
方々の心情や如何に … と、察するに余りある思いです。
元々、対岸の火事的な意味での野次馬根性や高みの
見物という心境にはなく、日本国全体としての属性のなかで
同様に被災したつもりでいたわけですけど、どこか他人事の
感がなくはなかったのかもしれないのです。
その最たる人種が 政治家 という職業の人々でしょう。
政権与党である 民主党 は被災地の人々を見殺しに
したままに、筆頭野党である 自民党 は国民の怒りを
逆撫でしたままに、菅首相 は国民の気持ちを人質に
したままに、いつまでも執拗に粘っている。
東日本大震災の復旧・復興に関しても、福島第一原発の
事故収束の行方(ゆくえ)についても、遅々として進まない
ばかりか、人災 としての被害はさらに拡大して混沌の
度合いを増幅させています。
見事に消えてしまった記事には、その辺りの件(くだり)が
びっしりと綴られていたわけですが、愚にもつかないような
痴話ゲンカ的な政争への批判や愚痴は、もういい加減
に止めにしましょう。
書くだけで疲れますし、気が重くなってしまいます。
「誰がやるか」 ではなく、「何をやるか」 でしょう
![eq](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/eq.png)
だったら、誰が首相でもいいから、決めるべき 事柄 を
早く決めろ
![exclamation2](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/exclamation2.png)
そうこうしているうちに …
国の暫定規制値(1kg当たり500ベクレル)を超える
放射性セシウムが製茶(一番茶)から検出されたとして、
私たち静岡県民も健康に及ぼす放射線被害と風評による
経済的な被害を被ることになるかもしれないという不安に
苛(さいな)まれることになりました。
数字だけが勝手に独り歩きするだけで実際には危険性の
ない、所謂(いわゆる)風評被害と実害を伴なう健康被害や
経済的な意味での実損害とを峻別する正確無比なる基準が
分からないのが現状であり、それが大問題なわけなのです。
規制値の根拠も曖昧なうえに生茶よりも乾燥させた荒茶
の方が数倍以上の高い数値になることは小学生でも分かる
簡単な算数です。
国民の一人ひとりが、少しだけ冷静になって判断すれば、
風評もなんてことはないはずなのですがねぇ …
もちろん、一定の基準値や規制値といった数字は必要
ですが、それで安心したからといって必ずしも安全だとは
言えず、数字を超えたからといって危険で安心できないと
いうものでもなく、安全でないとは言い切れないわけです。
安心 と 安全 とは単に比例しないというだけではなく
まったくの別物で、安全 には絶対が存在しないのです。
その意味からは、多くの基準値や規制値は 安心する
ための気休めにしかならない代物で、決して、安全
を担保したり保証したりするものではありません。
イソップ の 『オオカミ少年』 の話で言えば、
(オオカミが村を襲ってきた)その日に、ほとんどすべての
村人たちは安心しきっていました。
それまでの経緯から警戒に関する基準値も危険を阻止
するための規制値も相対的に大きくその数値が下がって
いたからです。
以前より、ひとり、羊飼いの少年だけが、騒いでいたわけ
ですが、少年に対する何の規制(注意勧告)も行なわれず
にいたわけで、「オオカミが来た」 と叫ぶその声は、
危険を知らせるための基準値からはほど遠く少年に対する
規制値は論外なものになっていたのです。
さて、『オオカミ少年の物語』 も、<1>~<10> と
その回数を重ねてまいりましたが、初回の <1> のなかでは、
『オオカミ少年』 の話は羊飼いの少年の嘘を戒める
内容ではなく、油断しがちな警戒心や希薄となりがちな避難
行動への喚起、あるいは緩慢ならざる訓練等の実践を常に
怠らないための 「警告の物語」 なのだと、まず以って
結論づけをしました。
それと言うのも、
「仮に地震や津波を予知して、警報を発したとしても、その
警報が何度も外れるか、実際に起こったとしても大したこと
のない程度の規模だったとすると誰も彼も信用しなくなるか
たとえ信じたとしても避難行動が希薄・緩慢となってしまう」
つまり、これを称して 「狼少年現象」 として流布して
いるわけですが、その実体としての羊飼いの少年の信用が
なくなるのは、何度も何度も繰り返し<嘘>をついたこと
にあるというのが、世間一般での認識もしくは常識でしょう。
一般的には退屈しのぎとして 「オオカミが来た」 と
<嘘>を言っては楽しんでいた挙句の結果(悲劇)であり
、地震や津波の警報が外れたり、予測よりも軽微であったと
いうことによる心の油断や避難の遅れからくる実質的な被害
とは次元(わけ)が違うのだと言うでしょう。
しかしながら、
私的には、「故意に嘘をついているのではなく、たまたま
その事柄が実現せずに信用や信頼を失う」 場合を指して
いるのであって、たとえ 「真実だとしても信用を失い誰から
も信じてもらえなくなる」 ような現象を「狼少年現象」
と呼びたいのです。
それがイソップの 意図 であり、「オオカミ少年」
の 真実 なのですから …。
なぜならば、
寓話作家イソップの立場になって少し考えてみましょう。
「嘘をついてはいけません。 正直に暮らしましょう」
「嘘をつくと酷(ひど)い目に遭いますよ
![eq](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/eq.png)
箴言や教訓ならば、『金の斧と銀の斧』 という話が
すでに用意されています。
イソップには、それだけで十分なはずだと思います。
それに、腑に落ちずに釈然としないままにクライマックスに
突入するこの物語にはいくつかの違和感が残ります。
![1](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/1.png)
物語だったのかもしれません。
![2](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/2.png)
注意があってもおかしくはないし、むしろ当然のこととして
必要でしょう。
![3](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/3.png)
しての番犬(牧羊犬)の配備がないことが不思議です。
![4](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/4.png)
察知するための重要な場所にもかかわらず見張り番など
の存在や大人の介入がないのは不自然です。
![5](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/5.png)
は懲罰的な意味合いよりも先入観によって人を信じない
ことへの危険性を訴えているとする方がより自然です。
―― 以上 ――
いくつかの疑問点(違和感)を箇条書きにしてみましたが、
次回ではそれらを踏まえた上で、『オオカミ少年』 の
謎を推理・解剖する 『完結篇』 にしたいと思います。
次回も引き続き、透明人間1号 が担当します。
一瞬にして忽然と消えてしまった先刻来の記事の内容には
いささかの未練も残りますが、失った中身はもう二度と戻って
は来ないでしょう。
新たに創っていくしか 方法 はないのです。
![symbol2](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/symbol2.png)
![kirakira2](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/kirakira2.png)
誰がやるかではなく、何をやるのか、何を創っていくのかを
早く提示して欲しいのです。
『イソップ物語』 のような珠玉のパブリックドメイン
(共有の知的財産)でなくてもいいから …
ただ 一筋 の 光 でいいから … 被災地の皆さんに
希望を光 を見せてください。
どうか、宜しく お願いします
![clap](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/ap/clap.png)