Aino's Dream

職業写真家Aino(日本写真家ユニオン会員)のオフィシャルブログ。写真って夢みたい。。ゆるりゆるりと夢を追い続けて。。

母の古希に寄せて

2013年12月04日 | 独り言

今年の1月に、母が古希を迎えた。母の好きなレストランでささやかにお祝いをした。

しかし、当の母は「古希なんて言われたくない。私はまだまだ若いのだから」などと、言ってみればダダをこねる。ただ、これはあながち嘘や強がりではないのである。本当に娘の私よりも元気で、忙しい仕事の合間をぬって、週3回は体操のクラブに通い、先日などは、大学のOBのひとりとして女一人で伊豆へ行きトレッキングまで参加している始末。考え方などはいたってシンプルでポジティブ。誠に勇ましい人だ。

そんな、母が古希を迎えて間もなく私に漏らした事がある。
「今は嫌な事は考えられないし考えたくもないの。外で働いているとそりゃいろいろあるけどね、嫌な事があったときは人を責めるとかそういう気になれなくなったの。もっと楽しい事考えようって思うの。それはその人の問題で私は関係のない事だと考えるようになったの。それが不思議な事に70を境に思い至った事なの」 

確かに母の言う通り、最近の母は何かの階段を上って踊り場に出て心安らかに心柔らかく外の景色を見ているような、そんな気がする。

このように、母を高見に昇らせたのは、母の生い立ちにも関係しているように思う。
母は戦後5歳の時に満州からやかん一つでひきあげてきた。母の母(祖母)が荷物や財産は全部取られても、子供だけは必ず連れて帰る、という強い信念のもと母は無事に帰還できた。
それから何一つないゼロからの出発。祖母が津田塾大で英語の教員免許を持っていたおかげで、祖母が死にものぐるいで働いて二人の子供を食べさせ、シベリア抑留になった夫を待つ生活。運良く、祖父はその5年後に帰る事ができた。祖父は紆余曲折を経て早稲田大学の教授になった。共働きでけっして裕福とは言えない中でも、娘の教育には心血を注いだ。

母はそういう両親を見て育ち、独立心も旺盛になったのだろう。子供の手が離れた時、社会保険労務士となって今では生涯現役を宣言している。母は強い。それは撓るように強い。父が亡くなったときも、突然と一家の家長になったにも関わらず、毎日泣いている私たち姉妹にそれぞれの道添えを作ってくれた。

今でも私は母離れができない情けない有様だが、母は私の最も尊敬する人の一人である。

【略歴】

女子学院中学・高等学校を経て慶應義塾大学法学部卒
都庁に就職
私が生まれ保育園がなかったことから都庁を退職
私が高校の時に社会保険労務士の資格を取得
年金問題の時には、社労士会からの要請により相談員二人のうち一人としてコールセンターに呼ばれNHKの取材を受ける 



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