私は10年以上前、まだ20代だった頃、とても辛い恋をしていた。
彼は同じ司法試験受験仲間だった。帰国子女で大学も体育会系の倶楽部に所属していたが、人当たりは至って温和。時を同じくして二人惹かれ合った。
昔の事だ、彼を批判する事などはしたくない。まして、私は今、この上とない伴侶を得ているのだから。
ただ、私が私である事の重要性を書くには、彼の存在が不可欠なのだ。そこには具体性も必要かもしれない。
彼は、私には要求と正当性の主張が多すぎた。しかし、当時の私は彼の要求を受け入れたい、彼に少しでも近づきたいと半ば妄信的になっていたように思う。
例えばこういうことだ。一緒に手を繋いで歩いている時に、彼が障害物に当たろうとしていたので繋いでいた手を少し引っ張った時の彼の怒りよう。言葉で言えよ、ということだった。私はそれがマナーなのかどうかも分からなかったが、彼がいう事は正しいのだから、私が悪かったんだ、と心底納得していた。
もちろん、私も随分反抗した。でもその中で彼の考えは怯む事を知らなかった。結局最期は、自分の考えは変わらない、僕と別れてもっと気に入ったヤツとつき合え、ということだった。
私は精一杯努力したつもりだ。彼が帰国子女であったことから、欧米の考え方を学ぼうと本も読んだ。
しかし、何もかもがダメだったのだ。そもそも一人の人を妄信することから間違っていたのだ。
私は彼に別れの手紙を書いた。最後に書いたフレーズを今でも覚えている。
「私は、本来の私から、随分と遠くに来てしまった気がします」
父が亡くなった事もありこの失恋は大きかった。でも私がそこに気付いた事も大きかった。些細な事でも自分の尺度を持ち一人で判断する事を覚えた。もちろん、それは私にとって至難の業で、長い時間を要した。
それでも今は、自分が自分であることに喜びを感じている。それは本当に本当に微かな微かな私の誇りでもある。