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最近になって私は、孤独を愛しているのではないかと思うようになった。
もちろん、私は真に孤独ではない。家族もいるし、友達と会ったりもする。
ただ、振り返ってみると、学生時代の私は大勢の友達とありとあらゆるおしゃべりをしていながら、孤独だった。父が亡くなった時には、父の残務整理、という名目で一人暮らしを始め、独りになることを望んだ。
そして今もそれは変わらない。どんなにたくさんの人が周りにいても、私はごく少数の人と友達になろうとする。人を遠ざけてしまうのだ。あるいは、人生というのはそういうものなのかもしれない。人と出会うということは、そのほとんどが「こんにちは」といい、そして何かの波に乗せられたように「さようなら」と言って通り過ぎていく、そういうものなのかもしれない。
高校時代の恩師が言っていた。どんなに愛する人とでさえ、完全に一つになることはできないのよ、と。
この頃その意味が分かってきたように思う。人は誰でも孤独という闇を持っている。その闇を見まいとしているのかもしれない。同時に人は独りでは生きてはいけないとも思う。
私には親友がいる。同い年で乳飲み子のときから友達だった。私の初めての友達。彼女とはいつも二人で確認し合っていた、「私たちは赤ちゃんのときから友達だよね」と。そして私たちは飽きることなくリカちゃんごっこをやり、あらゆる物語を一緒に作った。私がわからないこと(例えば網戸と雨戸の違い)について、他の友達は子供がよくそうするように「そんなのも知らないのぉ~?」ってはやしたてたけれど、彼女だけはいつでも絶対にそんなことは言わずに丁寧に私にいろいろと教えてくれた。彼女が引っ越す時になったときには、毎日まだ幼かったけれど、引っ越し先の住所を彼女が言い、それを私が復唱して覚えた。そして手紙を出すと約束した。
彼女とは今でも年賀状をやりとりしている。そして、それにはとても強い意味がある。「私たちは赤ちゃんの時からの友達だよね」そう、確認するものだ。会わなくても心はいつでも通じ合っている。
孤独の闇は、ほんの少し、温かくて光があるものなのかもしれない。だから私は孤独を愛せるのかもしれない。