野田首相の発言「即時撤回を」=韓国(時事通信) - goo ニュース
李氏朝鮮
李氏朝鮮の誇りは、儒教という文明主義の国であることだった。
一四世紀末の建国後、前王朝の高麗の仏教を廃し儒教を国教とした。
この王朝は隣の明の勃興とともに興り、五百二十年近くも続いた。
儒教は形式を重んじ、ときには形式そのものである。
親へのつかえ方、祖先への祭祀、血族の順序や尊卑貴賤という身分制度を固守すること。
そのための形式こそ大切であった。
特に李朝の儒教は儒教を生み出した中国よりも形式に厳格でいわば優等生の体制としそうであった。
形式を厳格にするためにはつねに他を論難し、つねに自他を正し、
ときに咆哮しなければならなかった。
『礼は国の基幹なり』というように人倫の秩序を守るための基本であり、秩序とは
上下の差別を重んじ、自他の差を服装や儀礼で装飾化することであった。
差別が国の幹なのである。
……
『この国のかたち』第四巻 司馬遼太郎
李氏朝鮮
李氏朝鮮の誇りは、儒教という文明主義の国であることだった。
一四世紀末の建国後、前王朝の高麗の仏教を廃し儒教を国教とした。
この王朝は隣の明の勃興とともに興り、五百二十年近くも続いた。
儒教は形式を重んじ、ときには形式そのものである。
親へのつかえ方、祖先への祭祀、血族の順序や尊卑貴賤という身分制度を固守すること。
そのための形式こそ大切であった。
特に李朝の儒教は儒教を生み出した中国よりも形式に厳格でいわば優等生の体制としそうであった。
形式を厳格にするためにはつねに他を論難し、つねに自他を正し、
ときに咆哮しなければならなかった。
『礼は国の基幹なり』というように人倫の秩序を守るための基本であり、秩序とは
上下の差別を重んじ、自他の差を服装や儀礼で装飾化することであった。
差別が国の幹なのである。
……
『この国のかたち』第四巻 司馬遼太郎