東日本震災から10年。私はリーマンショックのダメージから脱却できなくて
その前の年から会社を縮小して、長年住みなれた自宅を引き払い3月はじめに
引越し荷物を積んで 滋賀に引越しをしていたのです
引越し荷物を積んで 滋賀に引越しをしていたのです
予期せぬ事態にびっくり! 仰天!
急きょ、中央高速で東京に入り、事務所兼住まいで借りていた越谷のアパート
に日曜日到着。 翌日状況はさらに悪化
電車は動かず、お店には食べるパンもなく、津波の映像に目を奪われ
に日曜日到着。 翌日状況はさらに悪化
電車は動かず、お店には食べるパンもなく、津波の映像に目を奪われ
石油タンクの爆発や気仙沼の火災、、そして福島原発事故、、
仕事にならず、慌てて滋賀に舞い戻ってしまいました
仕事にならず、慌てて滋賀に舞い戻ってしまいました
2ヶ月ほど経って、友人達と津波にあった陸前高田、大船渡にボランテアで行ってきました
お昼のランチ(石焼ビビンバ)を避難してる人やボランテアの方達に食べてもらう3日間でした。 すべてが破壊された街には唖然とするばかり。
そこに住む人達の顔には笑は無かった
行った私達は野次馬だったように、今なら思います
予期せぬ時にすべてを失う、ものだけではなく家族や知り合いも無くす
そう言うことのあった10年前です
行った私達は野次馬だったように、今なら思います
予期せぬ時にすべてを失う、ものだけではなく家族や知り合いも無くす
そう言うことのあった10年前です
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