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誤報だった「仙台・荒浜で200〜300の遺体発見」当時の担当記者が経緯を検証

2023-03-11 22:26:37 | ニュース
誤報だった「仙台・荒浜で200〜300の遺体発見」 当時の担当記者が経緯を検証
2023/03/11 16:00
津波で住宅などが流失した仙台市若林区の荒浜地区。中央右の建物は荒浜小=2011年3月18日

(河北新報)
 「仙台市若林区荒浜で200〜300の遺体を発見」。2011年3月11日午後10時20分過ぎ、衝撃的な一報が全国を駆け巡った。津波の犠牲者が膨大な数になると予想させるニュースとして、覚えている人も多いだろう。しかし、最終的に荒浜地区周辺で見つかった犠牲者は180余り。200〜300の遺体が確認されたとの情報は誤りだった。あの日、宮城県警から一報を受け取った身として、誤報の経緯を振り返る。(報道部・末永智弘)

■「参考情報」で被害把握

 地震発生時、私は宮城県警本部にある宮城県第一記者会、いわゆる記者クラブに所属していた。とんでもない災害になると直感し、県警広報課に「非常事態なので、県警に入った通報を参考情報として提供してほしい」と申し入れた。

 通常の広報文は複数の担当者によるチェックや決裁を経るため、事件・事故の発生から報道発表まで早くても1時間ほどのタイムラグがある。揺れの大きさから広域での被害が予想された。何が起きているか、どこの被害が甚大なのかを早く把握して取材し、伝えたい報道機関にとって、いつものルートでの広報を待つ余裕はなかった。

 事前の取り決めはなかったが、緊急事態ということで広報課は受諾してくれた。記者室前の廊下に置いたホワイトボードに、広報課が県警に入った通報を「参考情報」として掲示する。そうやって被害状況を把握し、報道に反映させる流れが出来上がった。

 午後3時15分過ぎ。広報課の担当者が血相を変えて記者室に駆け込み、叫んだ。「津波の予測、10メートルに引き上げ!」。そして、津波が沿岸部に到達した午後3時40分ごろから、張り出される情報は深刻さを増していく。

■号外級のニュース

 「南三陸署が3階まで浸水」(午後3時47分)
 「仙台新港で10メートルの津波到来」(午後3時56分)
 「仙台空港の駐機場所、滑走路が津波浸水」(午後4時2分)
 「気仙沼市内で大きな火災が発生との情報」(午後6時10分)
 「宮城野区の中野小付近で火災。住民、児童ら600人が屋上に避難中」(午後7時20分)
 夜になると気仙沼市が火の海になっている映像がテレビに映し出された。「被害規模はどれくらいになるのか。沿岸部の人たちは無事なのか…」。考えたくない事態を考えざるを得ない現実に、記者室、そして県警庁舎全体に重苦しい雰囲気が漂った。

 そんな状況だった午後10時16分、「仙台南署管内の荒浜1、2丁目で200〜300の遺体が発見されている」との参考情報が張り出された。

 「ええっ?」
 「何だって!」

 悲鳴とも怒号ともつかぬ声が記者室で上がる。
 それまで確認された県内の犠牲者は十数人。その数が一気にはね上がった。記者たちは一斉に電話に飛び付き、会社へ報告した。私も「大変です!」と本社へ伝えた。共同通信は号外級のニュースとしてこの情報を配信。テレビやラジオも繰り返し報じた。

■「本当に現場の情報か」

 県警本部長だった竹内直人氏(65)も、この情報にがくぜんとなった。まとまった犠牲者の確認は初めて。事実なら、県の災害対策本部会議で報告しなければいけない。会議は午後10時半に迫っており、情報の扱いをどうするか葛藤した。

 「本当に現場からの情報なのか?」
 公にするなら慎重を期す必要があると考え、部下に確認させた。
 会議が開かれる県庁へ向かう直前、「本部長、現場からの情報です」と報告された。現場の警察官からの情報なら公表しようと判断し、発表に踏み切ったという。

 「大変なことになった」。竹内氏は海岸に200以上の遺体が並んでいる情景を想像し、暗たんたる気持ちになったという。また「仙台の荒浜で200〜300人の犠牲者なら、県内全体でどれくらいの被害になっているのか、と考えた」と振り返る。

 翌12日、日の出とともに仙台南署員が遺体の確認と不明者捜索のため荒浜地区へ向かった。がれき、津波による浸水に行く手を阻まれながら何とかたどり着いたが、200〜300の遺体はなかった。もちろん犠牲者は発見されたが、まとまった数の遺体は確認できなかった。全国に衝撃を与えた情報は、結果として誤りだったのだ。

■伝言ゲームのように

 なぜ、誤った情報が流れたのか。竹内氏は当時の様子を証言する。「前線の警察官は被災の状況を伝えようと必死に無線機を握る。でも、なかなかつながらない。つながったときは強い口調で話す。そんな状況で実際に見た情報なのか伝聞なのかが区別しにくくなった」

 「無線は複数系統あり、電話での報告もある。受ける側も混乱していて、情報をメモして取りまとめる際に伝言ゲームのようになってしまった」
 大災害時の情報収集の難しさを指摘する竹内氏。それでも情報発信に消極的になってはいけないと強調する。

 「誤報を恐れるあまり、きちんと確認できない限り発表しない、と考えるのは違うと思う。もちろん誤報にならないよう努めるが、大規模災害のときは警察に入った情報を広報し、状況を住民に知ってもらう必要がある」

 素早い情報提供を求めたのは報道側だ。荒浜の誤報で県警を責めることはできないし、責めようとも思わない。災害時の情報提供は極めて重要になる。どう発信するのが適切なのか。12年前の経験を語り継ぎ、災害報道の在り方を模索し続けなければならない。

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