The Alan Smithy Band

The band is on a mission.

カバーソウル

2011年12月02日 | ASB活動日誌
ハンクウィリアムズが生前残したノートが見つかり、
そこに書き留めてあった歌詞を一流のミュージシャンたちが曲にして発表された。
「The Lost Notebooks of Hank Williams」というアルバム。
その顔ぶれも豪華だけれど、ハンクウィリアムズほどのアーティストの残した、歌詞だけを元に曲を起こすなんて、ものすごい企画だと驚いた。
ちなみにもしハンクウィリアムズを知らなくても、今聞いているどの音楽も必ずたどれば彼の影響に触れること間違いなし、と私ひで氏は思う。

このアルバムの制作話の記事を読んでいる中に、シェリルクロウの非常に印象的な言葉があった。はっきり覚えていないが、こういう主旨だ。

「歌詞にはそれ自体に韻律があるから、歌詞を読むうちに曲が自然と聞こえてきた」

そしてこの意見にはこのアルバムに参加した複数のアーティストが同感だと答えていた。

これには、ヒッジョーに納得した。
同じことではないけれど、先日の田中賢氏とのコラボイベント、THE WAREHOUSEでカバーに集中的に取り組んだとき、
これに似た様な事を感じたからである。

私ひで氏はカバーを歌う時には、その曲をそのとき歌うのが自分でなければならない意味をいつも考える。
これはオレでなくてもいいんじゃないか?とチラッとでも思ったらそれはカバーする意味なし、と判断してしまう。
ものまねになっていないか、というのともまた違う。難しい。

先日カバーした中で特にエルトンジョンとビリージョエル、この偉大なアーティストの曲を歌う中で、
この「歌詞の韻律」を強く感じるのである。そして、いくらアレンジしようとしても、
どう考えてもこう歌うしか方法がない、という恐ろしい部分がある。理論的に言えば絶対に別の歌い回しは出来るはずだけれど、
歌詞との関係性や英語という言語そのものが持つリズム、そして旋律とが重なるともうここしかない、という美しすぎるライン。

個人的楽しみとして昔から歌っていた時には気付かなかったが、
カバーライブとして歌う事になって痛感する。なんちゅう音楽家だ、と。
このレベルの人たちが書く言葉は、こんな拘束力があるのか。。。と。

そういう部分に関してどうやって個性を出すのか、曲の魅力を考えるとそもそも出す必要があるのか、
そして突き詰めるとさっき書いた自問に戻ってくる。「本当に自分が歌うべきか?」その悩みはいつもつきまとうけれど、
また同時にこの悩みは楽しくもある。

曲の素晴らしさは折り紙付き。あとは自分たちがどう解釈して、この韻律と折り合って、聞いている人に響く演奏ができるかどうか。
それこそがカバーの醍醐味だと思う。

明日、京橋ソムリエで思いの丈を歌にしてぶちまけてみたいと思います。

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2011年12月3日(土) 京橋ソムリエ ひで氏ソロライブ with 田中賢
あのWAREHOUSEが帰ってくる!田中賢氏との最強コンビでお届けするカバーライブを、場所を移して開催。60-80年代のカバー中心にピアノとボーカルというシンプルな構成でお届けする特別な一夜。ヒデ氏、田中賢氏のソロライブもあります。
※ ご予約いただいた方から優先的にお席の手配をさせていただきます。

樫本英之ソロ/田中賢ソロ/樫本英之+田中賢
OPEN 19:30 / START 20:30ごろ
ライブチャージ500円

【アクセス】
大阪府大阪市都島区東野田町3-6-8
06-6357-9609
JR・京阪京橋駅より徒歩300m










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