The Alan Smithy Band

The band is on a mission.

THE LIFE 12号

2006年03月21日 | ヨウジ氏ブログ
王ジャパン 優勝おめでとう!! そして俺もおめでとう!!
俺は野球ファンだ。2006年の選手名鑑ももう買ったぞ!!
俺以外の人にはどうでも良いことだぜ!!

ヨウジ氏です。

タナボタ優勝ではあったが、非常に嬉しかった。
改めてみるとそうそうたるメンツ。。
この10年のプロ野球史を支えてきた精鋭達、渋い、、渋すぎる。

野球に人生を感じる。。
宙に舞う王監督、そしてスター選手達の晴れ姿を見て、何故か彼を思い出した。

彼の名は元ダイエーホークスの湯上谷宏

彼はヤンキース松井の出身校でもある名門星陵高校卒ードラフト2位か3位で現ソフトバンク、当時の南海ホークスに入団する。当時の南海ホークスはあまりの弱小球団であり、彼への期待度も高かったのだろう、いきなり背番号6か7が与えられたような記憶がある。入団当時のキャンプでは長嶋茂雄に「日本を代表するプレイヤーになる」と言わしめた彼であったが、結局はならなかった(笑)
彼と出会ったのは小学生時分、父に大阪球場に連れて行ってもらったときである。まだ2~3年目の彼はまさにロックだった。選手層の薄さから未完成な彼は高卒ながら即スタメンに顔を連ねるプレイヤーだった。
見るからに出来上がってない小さな体、判定を巡って審判に噛み付く、挙句の果てには自分が凡フライを打ったにもかかわらず敵陣の大先輩に向かってヘルメットを投げる。。

何なんだ…こいつは。。。余程の好成績か…いや、、打率2割2分だ、、、
(改めて)何なんだ…こいつは。。。

と幼心に思ったのである。

その後も彼は試合に出続ける、親会社が球団身売り、福岡に移転後は当時大資本のダイエーが親会社となる。
ダイエーはその資金力に任せ補強に継ぐ補強、他球団のベテラン選手をガンガン入団させる。しかし、彼は試合に出続ける。背番号は6

ある年は二塁手でありながら年間22失策と言う記録も樹立する。
しかし、彼は試合に出続けていた。。背番号は6

30も手前になり、この頃から球団は南海ホークスの残党選手を排除していく政策に出ていた。当時ホークスの監督に就任したのが王貞治、その人であった。
現メジャーリーガーの井口、巨人の小久保らのエリート選手が入団、芽を咲かせた頃、彼はスタメンから外れた。。

そろそろ彼もトレード要員か?との風向きとなる。
しかし、彼はいつも途中から守備固めで試合に出てくる。。背番号は6

成績は特によろしくない。。。守備も上手いのだろうがミスも多い、でも背番号6
特に後輩を指導するほどの器量も持ち合わせていなそうなぶっきら棒振り。

出逢いから10年経った頃、やはり彼はプレイヤーとしてはさほど際立った実績は無かった。それどころかここ一番でのタイムリーエラーくらいしか記憶に無かった。

弱小ホークスが強くなり始めた頃、彼がどのようなポジションで生き残っていくのか?そして何故彼が今なおホークスのユニフォームを着ているのか?
何故、旧態選手を嫌った王監督が彼だけを手放さないのか?
という事に興味を持った。同時にそれまでファンの期待を裏切り続けてきた超一流の二流選手の彼が持つ魅力について考えた夜、、、俺は密やかに彼のフリークとなった。

湯上谷に会いたい、そう思っていたある日。
偶然にも彼が南海時代を過ごした大阪球場跡地にあったハードロックカフェで彼と遭遇する。
当時ニエベスと言う変な外国人選手がいたのだが、湯上谷は彼と食事をしていた。
当時チーム内で明らかに浮いていたその二人の組合せに若干笑みがこぼれた(笑)
その眼差しは優しく、かつてのパンクロック的な彼のトゲは微塵も感じなかった。
そろそろ引退なのかな?と予感した。
異国になれないニエベスをリラックスさせてやろうといった雰囲気だった。出逢いから10数年経ったその頃、彼はほとんど試合には出ていなかったが、2軍落ちはしないという、やはり彼らしいポジショニングであった。
もちろん背番号は6



湯上谷宏ホークス入団から約15年、王監督率いる福岡ダイエーホークスは常勝軍団の一歩を歩み始めていた。
00年、その舞台は日本シリーズ第6戦 巨人に王手をかけられた中、4番サード小久保を怪我で欠くと言うシビアな戦況の中、スタメン発表の時彼の名はコールされた。

「8番サード湯上谷」

野球ファンなら誰もが「マジかよ!!王さん!?なぜ今日!?」
な出来事であった。俺は密やかに心の中でガッツポーズをした。
と同時に湯上谷フリークの俺は今期限りでの彼の現役引退を確信した。。

頑張れ!湯上谷、ついに君の待ち望んだ舞台に!
入団当初、華奢なイケメンだった君はもうヒゲ面の中華料理屋の店主風!

俺の湯上谷は明らかに緊張していた。

そして試合の序盤、彼は清原の打ったボテボテのサードゴロを観客席に投げ込まんばかりの大暴投で処理した。
そこから無し崩しでペースを乱したホークスはその試合に負け、日本一を逃した。。

シリーズ終了後、俺の湯上谷は引退した。背番号はもちろん6のまま
通常はレギュラー選手が背負う「大きな」背番号を小柄な彼は最後までつけていた。
彼の現役最後のプレーは、まさに期待を裏切り続けてきた非常に彼らしいプレーであった。
しかし俺は彼のことが本当に好きだった。
ストイックさが空回りし続けた男。
若くして任された重責の中伸び悩むチームを支えた器用貧乏さ。。
過渡期を支えた便利屋。。


宙を舞う王監督を見て、「王さん覚えているかい?湯上谷を…」

とセンチメンタルになった初春の夜なのであった。







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