The Alan Smithy Band

The band is on a mission.

映画館に泊まろう!

2013年01月18日 | ASB活動日誌
本の最大の欠点は読んでいて終わりが近いことがわかることである。

ひで氏です。

昔にブログに「本はあまり読まないので何を読めばいいのか」と書いて、読んでいた皆さんからいろいろとアドバイスいただいたのを覚えているが、
そんな自分が信じられないぐらい今は頻繁に本を読む。選ぶ本に困らなくなってきたころに図書館が宝の山に見えてきたのだった。

いい本に出会うと、次に行きたくなくなる。
読後の爽快感にしばし浸りたいというのと、読んでいる間に慣れ親しんだ世界をあまりにドライに捨て去るような感じがして後ろめたいのだ。

後半に近づいてくると、明日の朝の電車の中で読み終えるのではないか、と逆算しはじめたりする。
小説のラストなどはできるだけ静かな環境でじっくり読みたいのかと思いきや、我慢できず朝の電車の中でラストシーンを迎えたにも関わらず相当に感動し目を潤ませながら下車、なんてこともあるからそう単純なものではない。そういうときは周りの喧騒も何も関係ないぐらい引き込まれているのだ。

そして小説というのは文字情報であると同時に空想の世界でもあるので、
そのあと自分が何をしていようが、割と思い出しやすい傾向にあると思う。これは個人的なものかもしれないけど、読んでいたく感動したあとにたとえばジョギングしていても、パソコンに向かって仕事していても、ふと頭を切り替えればいつでも思い出したいシーンを頭に浮かべられるような気がするのだ。

映画は事情が違う。
映画の場合は良くも悪くも作られた映像を実際目に押しつけられているようなものなので、思い返すときの柔軟性が本に比べて劣る(劣る、というか種類が違う)。それに、なんといっても映画館で見る、もしくはテレビやスクリーンをじっと見るという物理的な体験を伴っているので、本のようなフットワークの軽さがない。

一定の時間に最初から最後まで見終えてしまわなければいけないのも映画ならではだ。本はちょこちょこと数週間にわたって自分のペースで読むこともできるので、読んでいる間は近くに感じることができる、ような気がする。いつでもその世界に出入りできるのだ。

逆に映画は集中力が必要で、あるまとまった時間にぱっと爆発する花火を見ているようなものだ。その分印象に残るものは残るけれど、集中から解放された反動でなんかすっと忘れてしまうものもある。

ナイトスクープで放送された三本のエピソードのうちせいぜい二本までしか毎回思い出せないのはそのことと関係あると思う。

だから二本立ての映画というのは昔よくあったがああいうのはほんとはやめといたほうがいいと思うのだ。
脳も疲労するし、それぞれの印象が薄くなる。よくブログに書いている飛行機の中での集中映画鑑賞、これは状況がそうさせるので仕方がない。

可能なら映画を見る日は映画を見ることで一日を終えるべきだと思う。
たとえば昼間にどっかのモールのシネコンで映画を見る。そしてそのままモールをぶらつき夕食を食べ、スーパー銭湯など行こうものなら、一日の終わりには「ああ、そういえば今日映画みたなあ。。。」ぐらいの印象しか残らない。

これもナイトスクープ理論と同じようなものである。

ある時期を境に私ひで氏はこの「映画を見るなら映画で締める」を可能な限り実践している。

それが難しいときはせめて映画のあと、その映画を語る時間を設ける。あのシーンがよかっただの、セットがあんまりだっただの、そういうやつだ。
これがあるのとないのとでは、また違うと思っている。

最近は映画館もすっかりよくなって機能も充実している。
今度はぜひ「見たらそのまま寝れる」映画館を作ってほしい。

最初から布団に横たわったまま見ると寝てしまうので、スタートは普通の座席だ。
エンドクレジットになった瞬間、五秒間に10度ずつぐらい席が後ろに徐々に倒れていき、エンドロールが終わるころに上から布団が落ちてくる仕組みだ。
耳元からはその映画のサントラが流れ、翌朝もそのサントラで目覚めさせてくれる。

。。。とまあ 感動的な映画ならそれもいいけど、


エレベータにネックレスが引っかかって悶絶して終わるサスペリア2みたいな映画だったらただ怖いだけ!



却下!
















最新の画像もっと見る

コメントを投稿