40代からがワクワク🤍人生はジェットコースター

ヨガ、宇宙の法則、気と病、シータヒーリング、哲学、チャクラなどお伝えします。

タパス(修練)

2023-09-26 09:25:49 | ヨガ

ヨガの哲学をクラスの冒頭でお話しすることがしばしばある。

ヤマ(禁忌事項)

ニヤマ(推奨事項)

これはマットの上のヨガ以外の普段の生活で意識していく学びとなる。

そのなかで、今回気になったのが

タパス(修練)

寒い暑い、勝ち負け、出会いと別れなど、

どんな人にも避けようのない人生の二極に、客観的な理解を持って耐える練習。

 

言葉だけで聞けば、それほどに思わないけれど、

自分の人生のステージでそれが起こってくると

ヨガの教えは深く、そうそう簡単に行えるものばかりではないことを気づかされる。

この夏は本当に暑く、厳しかった。

私はエアコンの部屋でくつろいでいたから、その辛さはわからない。

知り合いの工場で勤務の人は、50度のなかで働かなければならず生死と隣り合わせ、、、。

それでも、人間の強さというか順応性というのが備わっているようで、

水分と塩分を充分とりながらなんとか乗り越えているらしい。

勝ち負け、

これに関しては、ヨガインストラクターだとオーディションがある。

オーディションは落ちまくって、

冷遇にあったことも何度かある。

人によっては、もう落ち込んでしり込みしてしまうかもしれない。

でも、どうしてだかそれほど気にならない。

それはどこかで、

なにかしらご縁があれば呼ばれることを潜在意識でしっているのからかもしれない。

もちろん、一定レベルの知識と技術が備わっていてだけれど、

どんなに頑張っても、どういう訳かうまくいかないご縁もある。

それに抗わず、受け入れていきながら、今できることをこつこつやっていきたい。

 

そして、

出会いと別れ

これはもう、人生のなかで頻繁に起こること。

若かりし頃の恋愛を振り返ると、

好きは好きだけれど、そこまで心を動かされるほどではなかった。

無意識に、避けてきたような気もする。

それでも、自分から決めた別れであってもなんとなく、これっきりと思うと

ちょっと切ない気持ちになったりした覚えがある。

人を愛することは幸せなことだけれど、その分別れも辛いものとなる。

この二極の法則においては、もはや理解し耐えうるという修練でしかなく、

これも貴重な経験となるのだと思った。

この世界は宇宙の法則があり、すべては陰陽の世界。

山あり谷あり。

出来れば低めの山からの浅い谷を希望したいところだが、そうはいかないジェットコースターみたいだ。

 

 

愛をこめて♡

END

 


ブラフマチャリア(やりすぎない)

2023-09-06 09:34:02 | ヨガ

私のヨガクラスでは、ヨガの哲学を最初に少しお話することがある。

いろいろなヨガ哲学の本があって、正直難しいものもある。

今の皆さんの生活に合わせた言葉に置き換えて、分かりやすくお伝えしていくようにしている。

ヨガ哲学のなかでも実践的な部分が

ヤマ・ニヤマ

ヤマ(禁忌事項)の

ブラフマチャリア

 

何事もやりすぎない、溺れないという教え。

これは、物質的なものばかりではなく、人に対してもそうかもしれない。

たとえば、

人に尽くしすぎてしまうこともそうだ。

これは、愛情からきているとはいえ、どこか相手をコントロールしようと思っていたり、

過剰な愛情も結局執着となって苦しみを生むこととなる。

自分を振り返ると、物に執着するタイプではなく、割とすんなりと捨ててしまうことができる。

配偶者と同居の義理の両親は、正反対ですごく物に思い入れがあるみたいで、

これまでの私には理解しがたいことだった。

 

ただ、最愛の息子が離れて、からの巣症候群になってそれが落ち着きつつある今、

いままで注いでいた息子への思いを、シフトチェンジするように物質的な存在に頼っている自分がいた。

 

例えば、お花を育てること。

これは、誰に迷惑をかけることでもないし、

生き物を世話して育てることは、子育てと根っこは一緒なのかもしれない。

もちろん子育ての大変さとは比べ物にならない。

毎日、様子をみながらお水や肥料をあげて、日差しが強い時間は置き場所を変えたりと

気を配っている。

私にそんな日が来るとは、微塵も思わなかったけれど、

人はそうやって対象をかえながら、バランスをとって生きているのかもしれない。

義理の両親は、小学生だった娘さんを病気で亡くしている。

子供に先立たれることほど、つらいことはないという。

それは、経験した人にしかわからない思いなんだと、、、。

物に執着したって仕方がないのかもしれないと、そう思える。

 

私の息子は新しい友達に囲まれて勉学に励みながら元気に生きてくれている。

私は花や観葉植物に囲まれて、パワーストーンを身に着け、クリスタルチューナーで気を浄化し、

どうにかこうにかしバランスを保てている。

誰しも自分を本当に客観視することはできない。

ただ、今回のことで

自分が人に対してなんらかの執着が強かったこと。

そして、三大欲。

「食欲」「睡眠欲」「性欲」

これは神様が与えてくれたものであるので、結構強いのかもしれない。

私は睡眠欲にたいしてこだわりがあった。

いろんなものがくっついているんだな。

執着を全部剥がすことは簡単ではない。それを認めて、代わりになるものにそっと

心を移していくことは大事な作業なんだと思う。

 

アンバランスさの中に、バランスを見出していく

 

ヨガをする際に、伝える言葉だ。

この言葉を私自身にも、教えていきたい。

自分では器用な方で、呑み込みも早いと思っていたけれど、

バランスを欠かしていた。

それに気づいたということは、少しだけれど視野が広がってきたということなのかも?

部屋にはモンステラ、あと何かわからないのがもう一つ。

長男、次男と名付けて、あともう一鉢買って三男にしようかな。

とバカげたことを考えて。

それもいいんじゃないって笑える自分がいる。

外の花は暑さでちょっと萎れぎみ、、、。

もう少し暑さが和らいだら、秋の苗を植えて楽しみに育てたいな。

ヨガの哲学は日常にひっそりと存在していた。

そして、自分の心の在り方を見直すチャンスとなる。

 

 

愛をこめて♡

END

 

 


イーシュワラ・プラニダーナ(ゆだねる)

2023-08-28 15:25:24 | ヨガ

ある私のヨガクラスでは、ヨガの哲学について少し触れることがある。

ヨガ八支則のなかにある

・ヤマ(禁忌事項)

・ニヤマ(推奨事項)

マットの上ではない、それ以外の日常生活での教えとなるもの。

 

その中でも今週は、

ニヤマから

イーシュワラ・プラニダーナ

をお伝えしました。

 

これは、

 

ゆだねる

 

目の前の現実を私たち人間はどうにかこうにかしてコントロールしようとしがちだ。

それが、執着となって私たちをさらに苦しめる要因となることもしばしば。

私のように環境が変わったりするとなおさら不安が生じるため、

より強いグリップ力になってしまうんだと思う。

親子、夫婦、友人、あらゆる人間関係はもちろん、

物、地位や立場や、自分の見た目、健康などさまざま。

 

 

「イーシュワラ」とは神様の意味。

「プラニダーナ」は信仰というような意味。

 

神様を信じで、お任せしましょう

(サレンダー・降伏する)

 

ただただ、そうは頭で思っていても、人間には複雑な感情やエゴが混じりあうため

そう完全に、お任せってできないのがホントのところ!!

 

私自身で言えば、どちらかというと身近な人に対していつの間にか良くわからない期待をして

「この人ならなんでもお任せしても大丈夫!!」

「この人はなんでもわかってくれる!!」

というように、他者に対し妄想の中で、やたらと美化してしまう癖がある。

たとえば、息子だったり運命の人だったりを美化していたことに気が付いた!!

ただ、彼らも人間だ。

私 「夜12時には帰ってきてね」

息子「もちろん!!」

久しぶりの友人と会って、話に花が咲いたのだろう、、、。

12時を回って帰ってきたが、そりゃそれは仕方がないとおもいつつ、、。

「約束を守ってくれなかった、、、」

ひどいじゃん、みたいな気持ちになったりして。

 

彼の方は、どうしてかわからないが、LINEの返信をしようとして入力はするが、

送信を押すのを忘れる。

「返事がないなぁ、、、」

と落ち込む私。

待ち合わせ時間も間違えること、1度や2度ではないし、、、。

なんか、お任せしたら大変なことになるんじゃなーい??

みたいな。

 

人間が人間にお任せするというのは無理があるんだ、、、。

完璧という人間はこの世にはありえない話なんだから!!

話がそれてしまったが、

 

神様にゆだねる

 

のが信じる道であり正しいのかもしれない。

そして、自分を信じることと似ているのかなとも思う。

自分の中の神性さを失わないで、あらゆるグリップを緩めて、ちょっとゆだねる。

今の私ができるのは、このぐらいのこと。

 

まだまだ、未熟な私だけれど、もっと少しでも楽に生きられるように

ヨガ哲学を自らの実体験とともに、学び続けたい。

 

 

 

 

愛をこめて♡

END


ヨガで心の静けさを感じる♡

2023-08-25 09:44:39 | ヨガ

この書く瞑想を通じて、少しずつではあるけれど、心が整理整頓されてきている。

最近の私の心は、ジェットコースターのように動いていた。

普段はわりと冷静に思っていた自分自身のなかに

こんなにもいろんな思いや感情があったなんてびっくり!!

マンホールの蓋がポーンと外れて、下からあふれ出すぐらいの勢い。

たしか、そんな映像をかつて見たことがあって、それを思い出す、、、。

まだまだ、しっかりと整うところまでいっていないけれど、

なんとなく自分のハートチャクラがゆっくりではあるけれども正常に回転しだした。

 

ずっと、胸の痛みを抱えていた。

その痛みに向き合うことは、恐れを感じずにいられない、、、

ちょっとずつ向き合い、

「心のかくれんぼ」

という複雑極まりない状態もあるがままに受け入れてきた。

 

また、思い込み、囚われ、気づかないうちに潜在意識の一部となっていたものに苦しめられたことがわかった。

自分を客観視するというのは、肉体と魂と心の繋がりをその全体として捉えることなのかもしれない。

呼吸に意識を向けてみる。

 

ゆっくりと、ゆっくりと肩の力みを手放し、

胸を軽く開いて、深い呼吸を味わう。

身体の隅々まで酸素がいきわたるイメージをしながら、、、。

 

そこらか、周りの空間や物やすべてとの繋がりを思い出す。

宇宙の源と自分という小宇宙の繋がり。

そこには、絶対的な安心感があるんだと思う。

ヨガを通じて、心の静けさを感じる時間、

「今」大切にしたい。

 


心と身体の変化に気づくこと♡

2023-08-24 20:21:57 | ヨガ

ヨガのクラスで、毎回行っているのが足首回し。

意外と足首を日常で回すことって少ないので、若い方でも回らないことが多い。

膝から回してしまうこともあって、足首だけを回すことができるかはやってみないと気づかない。

自分の身体って、今どうなっているのか?

自分自身のことでありながら、普通に生活していると気が付かないし、徐々に変化している

自らの身体に意識を向けることなく慌ただしく、日常が過ぎてしまうこともしばしば。

 

70歳を過ぎた母が、大腿骨と骨盤のつなぎ目あたりを骨折し、入院生活を経て家に戻った。

自分の身体が元のように戻らないことが非常にストレスになっているらしい。

これは誰でもあるが、今の状態を受け入れるどころか向き合うことも良しとしていない。

以前は身体を動かし良く働いていたからなおさらだ。

でも、転んで骨折をしてしまって以来、突如生活が一変してしまったから無理もない。

だれも、明日のことなんてわからない。

受け入れることは簡単ではないし、元気だった自分の残像にフォーカスして

今の自分との違いにモヤモヤする。

 

これは私もそうだった。

最愛の息子が家から巣立ったことをきっかけに、心がもろくなっていた自分自身をよしとしていなかった。

そして、弱い自分を強い自分が許さないために、ますますストレスが溜まっていたのだ。

現実を受け入れることができない母に、私は助言した。

自分が自分を受け入れ、どんな自分も許していくことが癒しになるということ。

今の自分を否定することは、自分で自分を傷つけていることを伝えた。

そして、少し前にあった身体の異変について話をした。

左の肩甲骨あたりを中心に背中が痛んだこと。

なんと、母も同じように左側の背中が痛いことが以前にもあり、最近もその症状に悩んだということ。

私は、それがハートチャクラからネガティブな感情が湧き上がって、背中に回って痛みに変化する

過程を感じていた。

これが精神的に、自分を受け入れられない際に起こる身体のSOSだと気づいていた。

母はにわかに信じがたい様子だったけれど、

「心身一如」

身体と心は密接に繋がっている。

突発性難聴など原因不明の病気について、

「病は気から」というあらゆるパターンを話して、徐々に理解を得た。

 

これ以上自分を責めることなく、どうか優しくしてあげてほしいと伝えた。

私も母を通じ、改めて身体と心の大切さを思い知った。

目に見える身体もなかなか知りえないのならば、心の状態を正確につかむことなんて

簡単ではない。

けれども、自分ととことん向き合い、湧き上がる感情にジタバタしたっていいけれど、

多くの不調を抱えすぎる前に、本質的なものに目を向けて、

ありのままの自分を受け入れ、許し、愛していきたいと思う。

また、元気な時こそ心身と向き合い、日常的にケアしていくことも大切!!

自分を本当に癒すことができるのは、自分自身の内なる存在なのだから。

 

 

 

愛をこめて♡

END