前回のドビュッシーのお話は、音楽だけではなく文学にも惹かれ
詩歌に関心を抱いていったことまでを書きました。
ドビュッシーの音楽は声楽から始まりました
印象派の詩歌に音楽の伴奏をつけました
それは
『牧神の午後への前奏曲』からオペラ『ペレアスとメリザント』に発展していった。
牧神の午後への前奏曲
1892年から1894年にかけて作曲した管弦楽作品であり、ドビュッシーのの出世作である
1892年・・・・・日本では明治25年
8月8日 - 第2次伊藤内閣成立
11月30日‐伝染病研究所設立(北里柴三郎・福澤諭吉)
12月9日 - 東京湾北部でM6.2クラスの地震発生
オペラ
ペレアスとメリザント
1893年~1901年にかけてドビュッシーが唯一作曲したオペラ
台本には、著名な象徴派の詩人「モーリス・メーテルリンク」の同名の戯曲『ペレアスとメリザンド』が、
ほぼそのままの形で用いられている。
《ペレアスとメリザンド》は、王太子ゴローの弟ペレアスと王太子妃メリザンドによる禁断の悲恋の物語である
1901年・・・・・日本では明治34年
2月5日 - 官営八幡製鉄所操業開始
10月16日 - 日英同盟交渉開始
10月23日 - 田中正造が足尾銅山鉱毒事件で衆議院議員を辞職
12月10日 - 田中正造が足尾銅山鉱毒事件について明治天皇に直訴
日付不詳‐与謝野晶子『みだれ髪』
このように「海」や「絵画」「雲」といった対象物から余韻を受けそれを音楽に表現しようとしていました
このことを、印象主義といいます。
印象派美術・印象派詩歌の発想を音楽で表現しようとしたのがドビュッシーでした
今日はここまでにします。
続きはまた近日中に・・・・・
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詩歌に関心を抱いていったことまでを書きました。
ドビュッシーの音楽は声楽から始まりました
印象派の詩歌に音楽の伴奏をつけました
それは
『牧神の午後への前奏曲』からオペラ『ペレアスとメリザント』に発展していった。
牧神の午後への前奏曲
1892年から1894年にかけて作曲した管弦楽作品であり、ドビュッシーのの出世作である
1892年・・・・・日本では明治25年
8月8日 - 第2次伊藤内閣成立
11月30日‐伝染病研究所設立(北里柴三郎・福澤諭吉)
12月9日 - 東京湾北部でM6.2クラスの地震発生
オペラ
ペレアスとメリザント
1893年~1901年にかけてドビュッシーが唯一作曲したオペラ
台本には、著名な象徴派の詩人「モーリス・メーテルリンク」の同名の戯曲『ペレアスとメリザンド』が、
ほぼそのままの形で用いられている。
《ペレアスとメリザンド》は、王太子ゴローの弟ペレアスと王太子妃メリザンドによる禁断の悲恋の物語である
1901年・・・・・日本では明治34年
2月5日 - 官営八幡製鉄所操業開始
10月16日 - 日英同盟交渉開始
10月23日 - 田中正造が足尾銅山鉱毒事件で衆議院議員を辞職
12月10日 - 田中正造が足尾銅山鉱毒事件について明治天皇に直訴
日付不詳‐与謝野晶子『みだれ髪』
このように「海」や「絵画」「雲」といった対象物から余韻を受けそれを音楽に表現しようとしていました
このことを、印象主義といいます。
印象派美術・印象派詩歌の発想を音楽で表現しようとしたのがドビュッシーでした
今日はここまでにします。
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