前回はドビュッシーのピアノ曲について書きました。
たくさんの曲が作曲され、多くの人々に聴かれ、演奏されています
今年は、特に生誕150周年で、ドビュッシーYEARなので、
ピアニストの演奏会も多いです。
機会がありましたら、聴きに行ってみてはいかがでしょうか?
さて
今回はドビュッシーの晩年について書きます
1909年以降、ドビュッシーはだんだん病に伏しがちになります。
それでも、1910年には、ピアノ曲集「前奏曲」を作曲しました。
第一次世界大戦勃発(1914年~1918年)も彼に精神的ダメージを与えました。
大戦中は、古典主義的形式に20世紀の響きを結合させる6つのソナタが計画されました。
そのうちの3曲は完成し、「チェロとピアノのためのソナタ」「フルート、ビオラとハープのためのソナタ」(共、1915年)「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」(1916年~1917年)が出来上がりました。
この3曲がドビュッシーの最後の作曲と言われていました
しかし、2001年にアメリカで自筆譜が発見された遺作、ピアノ曲「焼ける炭火に照らされた夕べ Op.150」(1917年作曲)があります
その後1918年3月25日、パリで死去
死因は直腸がんでした
1904年 明治37年 日露戦争
1910年 明治43年 「尋常小学校読本唱歌」誕生
文部省が初めて編集した小学校唱歌の教科書
1914年 大正3年 第2次大隈内閣
第一次世界大戦
大日本帝国がドイツに宣戦布告
1915年 大正4年 芥川龍之介「羅生門」
1916年 大正5年 森鴎外「高瀬舟」
1917年 大正6年 「大正6年の大津波」と言われる高潮水害が発生。
実際は台風被害の様ですが、東京の「佃」「月島」
「築地」「品川」「深川」が浸水→『関東大水害』
1918年 大正7年 富山で米騒動
日本でシベリア出兵
日本も明治から大正に時代が変わっています。
こう見ると、ドビュッシーの生きた時代は
そんなに現在から離れた時代ではないと思えませんか?
遺作の「焼ける炭火に照らされる夕べ」は印象派の影響を受けたドビュッシーらしい
曲であると、思います。
簡単でしたが、ドビュッシーについてのお話はおしまいです
日本史が好きなので、日本(たまには世界史)の歴史と照らし合わせてきました。
このことで私も再認識したこともたくさんあります。
次回は、どの作曲家について書こうかなと考え中です。
気長にお待ちください
ありがとうございました
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