第4回車中泊お城めぐりの旅@京都大阪編の記事は→こちら
勝竜寺城は、元亀2年(1571)に、織田信長の命を受けた細川藤孝が、それまであった臨時的な砦を、当時最先端の城郭に大きく造り替えたものです。
土を切り盛りして造った、それまでの中世城舘とは一線を画し、「瓦葺き」「石垣」「天主」といった、その後の城郭の標準となる諸要素が取り入れられています。信長の安土城築城よりも5年も早く、近世城郭の先駆けともいえるものです。
天正6年(1578)信長の意向による、藤孝の嫡子忠興と明智光秀の娘玉(ガラシャ)の婚礼がこの城で執り行われたほか、連歌会や能・囲碁・乱舞が催されたり茶陶の出土が確認されており、文化的交流の場であったことも分かっています。、、、勝竜寺公園パンフレットより
現在は勝竜寺城公園として整備され、櫓を模した管理棟が建っています。
また周囲には水堀や門・城壁が復元されています。
石垣や枡形虎口も残っており、転用石として石垣に使われた石仏・五輪塔なども見ることができます。
南側堀に面した門と、櫓を模した公園管理棟
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内堀に囲まれた南東隅
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北東隅櫓
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同、城内より
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北門跡枡形虎口と出土した石仏・五輪塔などの転用石
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天主跡と考えられている西面土塁南端から見た大手門方向
南から侵入する敵に対して横矢掛かりとなっています。
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西面土塁
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細川忠興とガラシャの像
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櫓を模した公園管理棟
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管理棟内部は1階が休憩所、2回が資料館となっています。
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西側に広がる公園は桜が満開で、親子連れでにぎわっていました。
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この公園は沼田丸という曲輪があったところです。
細川藤孝の正室・麝香の実家である若狭熊川城主沼田氏にちなんだものと考えられています。熊川城の記事は→こちら
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勝竜寺城の合戦
恵解山古墳に本陣を置いた明智光秀は、背後の天王寺山に布陣した羽柴(豊臣)秀吉軍に敗れ、一旦勝竜寺城に逃げ込みますが夜半に北門から脱出し、居城(坂本城)を目指す途中で落ち武者狩りに遭い命を落としたと言われています。
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【勝竜寺城】
《織田信長の城造りの理想を現わした京都防衛の要》
名称(別名);しょうりゅうじじょう(小竜寺城)
所在地;京都府長岡京市勝竜寺13-1
城地種類;平城
築城年代;室町時代か延元4年/暦応2年(1339年)
築城者;細川頼春か
主な城主;細川氏、永井氏他
文化財区分;未指定
近年の主な復元等;模擬櫓、管理棟(模擬天主)
天守の現状、形態;梯郭式平城 御主
主な遺構;土塁、空堀、石垣、土橋、虎口
※出典、、、
地図;
【御城印】
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京阪・長岡京市駅前の「長岡京市観光案内所」で取り扱っています。
住所;〒617-0824 京都府長岡京市天神1丁目1−2
地図;