第4回車中泊お城めぐりの旅@京都大阪編の記事は→こちら
織田信長の命で丹波攻略のために明智光秀が築城した亀山城は、くしくも主君織田信長を討つために出陣した城でもある。
亀山の地(現京都府亀岡市)が京都と山陰・中国地方を結ぶうえで、軍事・政治・経済面から見て要衝の地であることに着目し、山城をやめ平地に城郭を構えた先進性はさすがです。
関ヶ原で勝利した徳川家康は、大阪城を拠点とする反徳川勢力と西国への睨みを効かせるため、亀山城の天下普請を築城の名手藤堂高虎に縄張させた。
このとき高虎は、移封先の伊賀上野城で使用する予定の旧領・今治城の天守資材を家康に献上し、層塔型五重の天守を完成させた。
江戸時代初頭には丹波亀山城の天守を解体するよう命じられた堀尾忠晴の間違いによって、伊勢国(三重県亀山市)亀山城天守を取り壊されたという話は有名です。→こちら
江戸時代になると譜代大名の形原松平家が治め明治維新を迎える。
明治新政府による廃城令と土地・城郭の払い下げにより解体破却の運命をたどり、石垣の一部は京都鉄道の嵯峨・亀岡間のレールの枕石に転用されたといわれています。
大正期になって転売された城址を宗教法人が取得。この際教祖が土中に埋まっていた石垣の石材を掘り出し、往時の姿に再現した。
昭和期には戦前の特高による宗教弾圧の結果、宗教施設はもとより石垣に至るまで破壊された。終戦後教祖は再び城址一帯を整備し、石垣も積み直された。
現在城址一帯には教団施設が建築され、内堀の周囲には天下普請で築かれた石垣の石材を使って積み直された石垣が往時を偲ばせています。
また、城址見学については教団の拝観許可が必要で、「みろく開館」一階の受付で拝観料300円を支払います。
御城印もこの受付で購入することができます。またロビーの一角には亀山城の資料コーナーが設けられ、ビデオ鑑賞やパンフレットを持ち帰ることができます。
明治5年に撮影された亀山城本丸南面、右端に杉櫓が建つ
(写真で見る幕末の城より)
亀山城古絵図
同城下町(模型)
いずれも亀岡市文化資料館にて展示。
宗教法人大本(おほもと)みろく会館
同会館ロビー内の資料コーナー
苑内案内図
苑内には往時の風情が残る一画もあります。
二の丸あたり?
内堀周辺
本丸周辺は教団施設があるため関係者以外の立ち入りは禁止されています。
石垣が積み直された一画
ここは風情があって飽きません
内堀に面した石垣角石部
発掘された石材には、天下普請で献納された「刻印」が残り、矢穴も確認できます。
現地説明板より
【亀山城(丹波国)】
《織田信長の命を受け明智光秀が丹波攻略の拠点とした城》
名称(別名);かめやまじょう(亀宝城、亀岡城、霞城)
所在地;京都府亀岡市荒塚町内丸1-1(現宗教法人大本私有地)
城地種類;平山城
標高/比高;
築城年代;1578年
廃城年代;1877年
築城者;明智光秀
主な改修者;岡部長盛
主な城主;明智氏、羽柴氏、石田氏、岡部氏
文化財区分;指定なし
主な遺構;石垣、堀
近年の主な復元等;所有者(出口氏)による石垣積み直し
※出典、、、
地図;
【亀岡市文化資料館】
〒621-0815京都府亀岡市古世町中内坪1
webページは→こちら
【御城印】
大本(おほもと)「みろく開館」1階受付
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