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この城跡は富山市水橋小出地内の小出神社周辺にあったと伝えられています。天正9年(1581)織田方の佐々成政勢と上杉勢が争った「小出城の戦い」では、織田方の前線基地となりました。
平成15~17年度の発掘調査によって、小出神社から北へ約150mのところで堀が見つかりました。堀は幅約5~13m、深さ約0.5~1.8mで、折れ曲がったり、分岐したりしていました。堀からは、かわらけ・珠洲・越前・瀬戸美濃・青磁などの陶磁器類や、漆器・曲げ物・下駄などの木製品、五輪塔・硯などの石製品、鋤先・銅銭などの金属製品が出土しました。また、戦に使用したとみられる腰刀や長刀の柄、火縄銃の弾丸、軍馬とみられる馬の骨、火を受けた陶磁器も出土しました。これらは16世紀後半のもので小出城が神社の北方にあった事を示しています。
中略
小出城がこの地に築かれたのは、金剛寺などを含めた中世居館が既に存在していたからと推定されています。
この付近は、小出川や新橋川など三方を河川で囲まれており、戦国期に軍事の拠点となったのみならず、生活の場や水運、交通の要となる場所であったようです。
新川橋に架かる唐人橋は、天文14年に入城した唐人兵庫にちなんだものと伝えられています。富山県教育委員会、、、(現地案内板より)
場所は富山市水橋小出
国道8号線(滑川富山バイパス)と県道15号線(立山水橋線)が交差する「北馬場」交差点を北上。県道149号線との交差点から50mほど手前に「小出神社」参道があります。
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県道15号線からは左折して【小出神社】境内に向かいます。
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車はここに停め、神社周辺を散策します。
境内に小出城の現地案内板が設置してあります。
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小出神社が城域の南西角にあたり、東側は県道15号線に面し、新橋川手前の「大通寺」が北西角という、方形の城域だったようです。
城域西側(奥は小出神社)
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西方向より城域全景(右手が小出神社)
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城域東側を平行に走る県道15号線と、北側を流れる新橋川(唐人橋)
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城域北西角にある「大通寺」
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この四角の城域の真ん中あたりを突き抜ける県道149号線沿いから「堀の跡」が発掘調査により明らかになりました。
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発掘調査が行われた場所
現在は埋め戻されています。
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発掘当時の写真(富山市教育委員会・発掘調査報告書より引用)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/4c/5c2a52ac45557962b2e85975c3990417.jpg)
出土品(同上)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/bc/d652c13547687c1e0d199a9a6b3b7024.jpg)
【玉永寺五輪塔】
「小出城の戦い」では多くの将兵と共に、周辺の集落からかりだされ亡くなった百姓衆を祀ったと思われる五輪塔が、各村から奉納されています。
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玉永寺参道は県道15号線に面して、小出神社参道と民家を挟んで並んでいます。
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城域の南を流れる「小出川(白岩川支流)」より
左手が小出神社、右手が玉永寺
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神通川右岸の「白岩川」を挟んだ、強者どもが夢の跡。。。しかし犠牲になった地元の百姓も少なくなかったのですね。。。
※参考資料;とやまお城探検隊(北日本新聞)、富山県教育委員会発掘調査報告書
【小出城】
《こいでじょう》
名称(別名);
所在地;富山市水橋小出70
城地種類;平城
築城年代;天文14年(1545)ころ
築城者;唐人兵庫(かろうど ひょうご)
主な城主;唐人氏、揖斐庄(弓庄)助五郎、上杉氏、佐々成政(織田氏)、土肥氏、青山氏(前田利長)
廃城;慶長20年閏(1615年)
文化財区分;指定なし
近年の主な復元等;1996~2005年の発掘調査で堀の跡が発見されるも、現在は埋め戻されています
天守の現状、形態;天守構造なし
地図;