飛騨市指定史跡 東町城跡
この地にあった東町城(別名野尻城、沖野城)は、飛騨市内で唯一の平山城です。近世以降の主要な町場である船津地区や高原川を見下ろす河岸段丘の淵に位置しています。ここからは高原川対岸にある越中東街道が良く見えあ、そこから分岐して信州方面に接続する上宝道が付近を通るなど交通の要衝に位置しています。神岡城が建つ主郭は50m四方ほどで西面が崖、それ以外の面は内堀が取り囲んでいます。その外側に幅約30m程の副郭がコの字型に取り囲み、さらに外堀が取り囲んでいます。堀や櫓台には石垣が築かれ、段丘涯には2条の竪堀が残されています。
昭和期の公園整備によって遺構に大きな影響を及ぼしたと考えられますが、字絵図や整備前の図面を確認すると、曲輪や堀の形は現状と大きく変わっていないことがわかります。江戸時代に描かれた「越中東街道絵巻}には東町城が「江馬出張」として紹介され、高石垣を伴う櫓台の他、堀跡とみられる切れ込みも描かれています。また、古写真によって現在天守がある場所に算木積みを伴う石垣が築かれていたことが確認でき、この場所には石垣を基底とする重曹櫓が建っていた可能性があります。櫓台は段丘に面して構築されていることから、下の町場から見える象徴的な役割を果たしていたと考えられます。なお、この城跡の南側に位置する江馬氏下館における発掘調査の結果、16世紀前半には下館を廃絶して他所に写ったことが判明しており、東町城はその後の江馬氏の拠点として有力な場所です。飛騨市教育委員会、、、現地説明板より
場所は岐阜県飛騨市神岡町城ケ丘
国道41号線神岡町船津北交差点から、国道471号線松本・平湯方面に向かい夕陽ケ丘交差点で右折、一筋目を左折して市立神岡中学校を目指すと、向かいが城址です。
駐車場は神岡中学校の城址側にあります。
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道を挟んだ向かい側
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昭和45年(1970)神岡鉱業所の操業100年を記念して、三井金属鉱業(株)によって公園として整備されました。敷地内には神岡城・旧松葉家・鉱山資料館があります。
鉱山資料館
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旧松葉家
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神岡城
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【東町城】
越中侵攻を目論む甲斐の武田信玄は永禄7年(1564)、重臣の山県昌景の縄張りにより国人江間時盛に命じて築城させたと言われています。
その後秀吉の命で金森長近が飛騨を統一、その家臣・山田小十郎が城代となったが、元和元年(1615年)徳川幕府の一国一城令で廃城。以降飛騨は幕府の天領となりました。
近世に作成された「飛州志」に「江馬の館」として紹介されており、石垣積みの櫓台や内堀・外堀も確認できるそうです。
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公園内の城と遺構等の位置関係です。、、、以上現地説明板より
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外堀土橋を通って公園内(本丸)に入ります
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外堀南東面
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外堀南西面
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元々あった櫓台跡に丸岡城や犬山城を参考に昭和45年に建設された木造模擬天守と城門
門から先は入場料が必要です。
大人470円 子供260円(鉱山資料館にて受付)
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内堀南西隅
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内堀東隅から南東面
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南西面石垣と天守
左側は崖
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本丸石垣
外堀内側から南東面石垣を撮影 背後に見えるのは鉱山資料館
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同角石
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同内堀を西側から見ると本丸側(左側)の土居の高さが良く分かる。
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西側の公園登り口
急な階段となっており、段丘崖の上にある事がわかる
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北面の段丘崖側からの城壁と天守
この斜面に竪堀があるそうだが藪が酷くて確認できなかった
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同所からの眺望
北東方面越中の方角を望む
眼下には城下町と崖を削り取った高原川
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高原川によって削り取られた河岸段丘上にそびえる天守
櫓台は段丘に面して構築されていることから、下の町場から見える象徴的な役割を果たしていたと考えられます。、、、神岡城案内板より
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この日は飛騨古川の増島城と神岡城の2城攻め
午後から天候が崩れるとの予報で。早朝に自宅を出発。神岡城には6時前に到着。山奥の谷筋で日の出が遅く、画面が暗くなっています。
模擬天守ではありますが、木造という事と高石垣が現存し、抜群のロケーションに支えられ、いい写真が撮れました。
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【神岡城】
《》
名称(別名);東町城 野尻城 沖野城
所在地;岐阜県飛騨市神岡町城ケ丘1
城地種類;平山城
築城年代;永禄7年(1564年)
築城者;江馬時盛
主な城主;江馬時盛、金森氏
文化財区分;市指定史跡「東町城跡」
近年の主な復元等;1970年(昭和45年)木造模擬
天守の現状、形態;独立式望楼型2重3階 模擬天守
※出典、、、
地図;