福井藩三代藩主松平忠昌公が正保2年(1645)に病死し、福井藩の相続が始まり、側室の子であった松平昌勝公は同年11月19日に松岡藩5万石が内定し松岡藩が成立しました。この地は芝原郷と呼ばれ室・椚・窪の三ヶ村があり、松岡藩ができることによって松岡という地名が名付けられました。
松岡城下町は九頭竜川の左岸に造られ、東西に細長く形成されました。その中央に御館が承応2年(1653)に道営され、昌勝公は承応3年に入部することになりました。敷地7780坪で約25間前後の大きな館で周囲を土居が囲み内堀が巡っていました。また館を囲むように武家屋敷が約107軒ほど並び外堀があり、その周りには商人屋敷が形成されていました。
松岡藩は初代の松平昌勝公、二代昌平公と続きましたが、福井藩を昌平(宗昌)公が継ぐことになり文地されて77年後の享保6年(1721)に松岡藩は廃藩になりました。その後20年をかけて福井への引っ越しが行われ、「明屋敷」と呼ばれる畑地になりました。その明屋敷に唯一名松岡藩のなごりを残すのがこの御館の椿で、昌勝公が愛観されたと伝えられています。(松岡町教育委員会)、、、現地説明板より
場所は福井県吉田郡永平寺町松岡葵1丁目
えちぜん鉄道勝山永平寺線沿いで、県道110号と松ヶ原線が交差する辺り。
福井北ICからだと国道416を勝山方向に走り「春日」の信号を左折(県道110号)、えちぜん鉄道勝山永平寺線の踏切を超え一筋目を左折すると、20m程先の住宅地の中にあります。駐車場が無いので長居は禁物です。
館跡を示すものは現地案内看板のみ。
看板の外観と内容で初めて、この石垣や椿の意味が解るという程度です。それが無かったら民家の庭、もしくは忠魂碑くらいにしか見えないのでしょうね。
この一角が道路で四角く区切られているので、かつてはすべて御館だったのかもしれません。
なんの痕跡もないところに当時の様子を妄想してみると
こんな感じですかね?
現在の地図上の道路と地名、
二重の方形、御館は総坪数7780坪(約25000㎡)という情報から、160m×160mもしくは100m×250mと推測してみました。
越前松平氏は徳川家の親藩なので「葵の御紋」
葵1丁目、葵2丁目、葵3丁目っていかにもって感じですよね。
御館跡に敬意を表して葵1丁目にしたんでしょうね(笑)
、、、これは妄想です。怒らないでくださいね。
【松岡陣屋】
《》
名称(別名);松岡館 明屋敷
所在地;福井県吉田郡永平寺町松岡葵1丁目73
城地種類;陣屋
築城年代;慶安元年(1648)
築城者;松平昌勝
主な城主;松平昌勝、宗昌
文化財区分;
近年の主な復元等;
天守の現状、形態;
※出典、、、
地図;
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