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令和3年1月豪雪(仮称)の悪夢が冷めやらぬ1月末、災害級の寒波再来との予報で各方面は警戒を強めたが、結果として大きな被害にならなくて済んだ。
この記録的な大雪を「記録せずにおくものか」との想いで、雪を頂いたお城の写真撮影に行ってまいりました。
【高岡城の雪景色】
高岡城は天守や櫓などの構造物は一切なく石垣もほとんど見られないが、各曲輪や堀が埋め立てられず築城当時の姿を残している点が評価され国の史跡となっている。
そしてこの高岡城が、金沢城や富山城と共に前田の三城として語られるのは、加賀藩初代藩主・加賀前田家二代当主・前田利長の隠居城で、加賀百万石の総力を挙げての城造りを行ったからにほかなりません。
高岡の守山城から佐々成政追放後の富山城へ居城を移しますが、
慶長3年(1598)父利家から家督を引き継ぎ金沢藩主となり金沢城に入ります。
慶長10年(1605)家督を異母弟の「利常」に譲り、富山城を隠居城として再興・整備します。
慶長14年(1609)富山城は大火により焼失。高岡移転を決意、築城に着手。
同年9月未完の高岡城に入城
慶長19年(1614)高岡にて没、享年53歳。
これに歴史的史実を重ね合わせると
慶長4年(1599)父利家没
慶長5年(1600)関ヶ原の戦い
慶長19年(1614)大坂冬の陣
元和元年(1615)大阪夏の陣、一国一城令
徳川に付くか豊臣に付くかの大きな決断。
徳川による豊臣恩顧の大名潰し。
父利家が亡くなり家督を継いでから没するまでの16年間はまさに激動の期間。徳川に付くか豊臣に付くか一歩判断を誤ればお家は滅亡、また自らの命さえ失うかもしれない戦国大名としての苦悩の日々だったと思われます。
隠居城としての富山城が焼失した後、同地での再建を諦め高岡に移転を決めた決断の速さと、着工から入城まで僅か半年と言う工期の短さは驚異的と言わざる得ません。
守山城主として12年間高岡を見てきた利長であったからこそ、この地を選んだのでしょう。しかし元々あった城を改築するのとは違い、全くの荒地から「縄張り」し、人夫をかき集めての「堀」や「土塁」の土木工事、石や木材等の建築資材の調達など並々ならぬエネルギーと資金力が注ぎ込まれた成果であったことでしょう。
高岡城がほかの富山城や金沢城と違い豪華にして華美な天守や石垣が残されていないのは、「関ヶ原」以降の徳川と豊臣の間の緊張関係が最高潮に達していた時期で「大阪冬の陣・夏の陣」を迎える直前だったからで、
慶長6年(1601)には徳川家康の次男結城秀康が越前福井で北庄城を天下普請で築城
同14年(1609)には6男の松平忠輝が同じく天下普請で越後高田に城を構え、前田家は西と東の国境を徳川家康によって封じられました。
男子のいなかった利長は異母弟の「利常」に家督を譲り幼い弟を後見し、御家の安泰を図る意味でも東の備えとしての城は必要だったのではないでしょうか。
それともう一つの理由は、利長自身の健康上の問題。患っていた病が悪化し自らの余命が短いことを察知し、事を急がせたとも考えられます。そして慶長19年(1614)5月、竣工から僅か5年しかたっていない高岡城で死去。
高岡城は翌元和元年(1615)の一国一城令で廃城、その後は加賀藩の番所や蔵が置かれたが軍事拠点の機能は密かに維持されたとも言われています。
高岡城の縄張りを行ったとされる「高山右近」の銅像にも雪が降り積もっています。
諸説がありますがここではキッパリと言い切っていますよ。
城内に現存する唯一の石垣遺構。
「本丸土橋石垣」東面
同西面
外堀は築城当時のままの姿を留めています。
水面に浮かんだ氷と吹雪の跡が残る西面石垣。
富山城の石垣の刻印は実に120種以上、400個以上もの刻印が確認されています。
富山城、高岡城、金沢城の3城では11種類の刻印が共通しています。
高岡城では東面の内堀側に863個、外堀側の西面に837個の石が積まれており、
刻印は8種類、127個の刻印のある石が確認されているそうです。
近年になって河川の土木工事に石垣の石が転用されているのが発見されたそうで、一部は引き揚げられ城内に展示されています。
もしかしたら、土橋以外にも石垣があったのかも知れませんね。
【高岡城】
《築城以来、水堀が完全に保存されている城》
名称(別名);
所在地;富山県高岡市古城
城地種類;平城
築城年代;慶長14年(1609)
築城者;前田利長
主な城主;前田氏
文化財区分;国指定史跡
近年の主な復元等;平成3~7年に水堀浄化工事
天守の現状、形態;城址
※出典、、、日本100名城 公式ガイドブック・日本城郭協会監修(学研)
地図;
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